亡きマスターをしのびながら一夜限りのジャズ喫茶
すすきのから少し離れた住宅街を歩いていると「カリー乃五◯堂」が見えてくる。クルマ5台分の駐車スペースは、五十嵐広樹さんが作るカレーを食べたくて遠くからやってくるファンのためだ。
五十嵐さんのスープカレーは、オーダーしてから10分は待たねばならない。雑味のまったくない澄んだ味わいのスープは、牛や豚、鳥などの肉と大量の野菜を48時間煮込みながら何度も濾して仕上げたものだ。それに北海道産の新鮮な具材を合わせるのだが、オーダーを受けてから具材の調理をするため、それなりの時間が必要とされる。
セントラルキッチン方式のチェーン店ではけっして出せない、熟練した技術を持つ五十嵐さんでなければ作れないスープカレーだ。
スープカレーは、最盛期の2000年ごろには札幌だけで200軒を越えたほどの、いわば北海道人のソウルフードだ。
五十嵐さんは札幌で一、二を争う人気店の調理長としてこの激戦区で長年腕をふるってきた。2008年にニセコ・スキー場の近くで「ランバージャック」という店を開き独立したが、どうしても札幌でやりたくて、2010年に「五◯堂」を始めた。
定期的に従業員と研修旅行に出かけるなど、日々カレーの研究に余念のない五十嵐さんだが、その一方でジャズ喫茶への熱い思いは増すばかりだった。
店内にレコードを飾ったり、カウンター奥にアルテックのスピーカーを据えてジャズを流すだけではとどまらず、約5000枚のコレクションからひとつのテーマに絞って選んだレコードを、通常の営業時間よりも大きめの音量で流す「一夜限りのジャズ喫茶」と銘打ったイベントを毎月1回、この「五◯堂」で開催している。
「もちろんジャズ喫茶をやってみたいという気持ちはありましたよ。でも、僕でないとできないことをやろうとカレー屋を続けているわけです。ただ、ジャズって敷居が高くなっちゃった気がして、それではいけないと思って自分の店でジャズをかけているんです」
ジャズを聴きはじめたのは18歳のころ。時代の空気を鋭敏に反映させたフリージャズに心を奪われる一方で、ジャズ喫茶とは旧態依然としたジャズしか認めない頑迷な人たちが集まる場所だと思い込んでいた。
ところが馴染みの中古レコード屋店主に、かつて札幌に「act:(アクト)」という進取の気性に富んだジャズ喫茶があったことを教えてもらう。
1970年に開業し、1985年に閉店した「act:」は、デザインコンシャスな内装とハイエンドオーディオでアバンギャルドなジャズをかける店として、今も北海道のジャズ喫茶ファンの 語り草となっている名店だ。
店主の坂井幹生さんは、60年代の新宿「DIG」「DUG」で4年間、レコード係を勤めた人だった。
「僕が知ってから数年後、与那国島に移住していた坂井さんが帰ってきて『さっぽろ珈琲工房』という喫茶店を始めたとき、すぐに訪ねました。そこで流れていた音楽を聴くなり腰を抜かすほど驚いちゃって。ああ、この人は違うと。ようやくジャズの話ができる人と知り合えたんです」
しかしその坂井さんは2013年、惜しくも肺がんでこの世を去ってしまう。
五十嵐さんは坂井さん亡き後も、「act:」の残像を追い続けている。
店のカウンター奥の上に飾ってあるレコードをはじめ、「act:」ゆかりのアイテムを集めている五十嵐さんだが、取材のためにと自宅から「act:」のロゴが大きく入った玄関マットを持ってきて、それをうやうやしく広げてくれた。このマットは坂井幹生さんが「act:」閉店後に自宅の玄関マットとして使用していたものを、「act:」の経営者であった兄の坂井敬史(たかし)さんから 形見分けとして五十嵐さんが譲っていただいた物だ。
閉店したジャズ喫茶の玄関マットを後生大事に保管している料理人は、日本中を探してもおそらくこの五十嵐さんぐらいだろう。(了)
photo & text by 楠瀬克昌
カリー乃五◯堂
- 店主:五十嵐広樹 (創業:2010年9月1日)
- 住所:北海道札幌市中央区南8条西10丁目山新ビル1F
- アクセス:地下鉄南北線 山鼻9条駅から徒歩6分、中島公園駅から徒歩12分
- TEL: 011-513-1550
- 営業時間:11:00〜22:00 平日昼ランチ 15:30 LO 平日夜 21:30 LO 土日祝 通し営業(休:木曜日ただし祝日の場合は営業)
- 席数:24席(完全禁煙)駐車場5台
- 所有ディスク数:レコード、CD合わせて約10,000枚
- メニュー [インドカレー]チキンカリー 900円、なすチーズチキンカレー1200円[スープカレー]チキンカリー1000円 特選シーフード1350円 ライスは+50円で雑穀米に
- HP:なし/SNS: Facebook Twitter
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- プリメインアンプ:サンスイ5900
- スピーカー:アルテック コロナ
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