ジャズが投げかけてくる驚きを求めつづけて半世紀
壁に飾られている額縁入りのジョン・コルトレーンとマイルス・ディヴィスのサインは、どちらもマスターの松浦善治さんが関係者や警備員の目をかいくぐり、彼らの楽屋を訪ねて書いてもらったものだ。
コルトレーンは両手を広げて松浦さんを迎えてくれたという。帝王マイルスは、松浦さんをじっと見つめたあと、黙ってサインに応じたそうだ。
松浦さんは、マイルスやコルトレーンをはじめ、たくさんのジャズメンのステージをカメラで撮りまくり、チャンスがあればサインをねだった。
「私はなんでも初物が好きでして、ジャズメンの公演も初来日のしかも初日でないとダメなんですよ。ほとんどのツアーは東京から始まりますから、函館から青函連絡船で青森へ渡り、夜行列車の急行「八甲田」に乗って東京まで、12時間かけて初日に行きました。
「金はないからS席は買えなくていつもA席。コンサートが始まったら通路からステージ前に押しかけて写真を撮りまくりました。もちろん無許可ですよ。股の下にカメラを隠したり、『関係者』と書いたニセの腕章を巻いたりして潜り込むわけ。店を始めてからは、みんなに顔を知られているので恥ずかしくてやめましたけどね」
アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、MJQ、ビル・エヴァンス、オーネット・コールマン、エラ・フィッツジェラルド、ジョー・ザヴィヌル、トニー・ウィリアムス、セシル・テイラー……60年代から70年代前半に来日したメジャーなジャズメンの多くを松浦さんは撮影した。
ときには雑誌社にネガを貸すこともあったが返却されなかったことも多かった。
2015年の秋には、函館蔦屋書店で「松浦善治 JAZZ写真展」が2週間にわたって開催され、松浦さんが撮影した39人のジャズメンの写真が展示された。
「実家は山形の天童です。食料品店を営んでいた父は明治22年生まれの元船員で、ひと旗揚げようとアメリカに住みたくて、横浜の船会社に就職してパナマ運河を渡って密入国をしたことのある人でした。アメリカから蓄音機を持って帰ったりするハイカラな人でした。父のおかげで早くからラジオで洋楽を聴いたり、レコードを買える環境にありました。
「18歳のとき、大好きなクルマを乗り回したくて、義兄の運転手として函館に移り住みました。ある日、モダン・ジャズのレコード・コンサートに行ってみると、函館の若者たちがオーネット・コールマンの『フリージャズ』について、あれはジャズなのかどうなのか、といった議論をしていて、驚いちゃって。それまでジャズというのは山形の田舎で聴いていたグレン・ミラーやディック・ミネや畑テルオだと思っていましたから」
同世代の若者たちに刺激を受けた松浦さんはそれから最新のジャズを知るために函館のレコード屋に足繁く通うようになる。のちに結婚する康子夫人は、そのレコード屋の店員だった。
函館から東京までジャズメンの来日公演を観に行くようになってからは函館にいるのがもどかしくなり、横浜の自動車会社に就職し、全国のディーラーに新車を陸送する運転手になった。
「いまのようにトレーラーでまとめて運ぶわけじゃなくて、1台ずつ現地まで運転して届けるんですよ。配送のついでに、各地のジャズ喫茶に行きました。松山に『ニューポート』っていうジャズ喫茶があると知ると『松山へ行く仕事ありませんか?』って。新潟だったら新発田の『バード』とか。タコメーターを外して仕事にかこつけて全国ジャズ喫茶行脚。ただ、九州だけは横浜から船便だったのでいっぺんも行けませんでした」
「ジャズ喫茶のマスターでいちばん好きだったのは横浜『ちぐさ』の吉田衛さん。シビれたなぁ。友達数人を連れていくと、かたまると騒がしくなるからと『あなたはこちら、あなたはあっち』ってバラバラに座らせられたり(笑)。“あそこのおじさんはうるさい”ってよく言われていたけど私はすごくかわいがられました」
上京して4年半後の1970年、函館の五稜郭近くに最高の物件が見つかったという康子夫人の奨めで函館に帰り、 ジャズ喫茶「バップ」を始める。開店のとき、いちばん最初にかけたのは「バド・パウエル・イン・パリ」だった。
「いソノてルヲさんが店に来たときに『バップって名前なのにバップが全然かかんないね、コルトレーンやアーチー・シェップばっかりで』と言われたんです。相手が大先生だったのでそのときはお茶を濁しまたけど、私にとっては、いつも疑問を投げかけてくる驚きの音楽、衝撃の音楽、それが『バップ』であり、それがジャズという意味なんです」
「私はブルーノートの1500番台とかね、定番のものがだいっきらいなの。そういうのが聴きたい人はよそで聴いてくれと思ってレコードを集めてきたんです。店の棚に飾ってあるミルフォード・グレイヴスやドン・チェリーのレコードを買った日付を見てくれればわかるんですけど、当時はこれがジャズ? と言われたようなものばかり。刺激のないものは小学校の運動会ででもかけてればいいんですよ」
「コルトレーンの来日公演だって、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズが来ないっていうんで、コンサートの途中で帰っちゃった人がいっぱいいたんですから。いまはみんな好きっていうけど、50年前、あれをほんとうに聴いていた人がどれだけいるか」
「ジャズはね、最初はジャズじゃないんですよ。これがジャズなのか? こんなのわかんないっていうのが何年かたって《ジャズ》になるんです。ジャズって自分がほんとうに関心を持ってないとそのよさがわからない。ジャズはいつも『これって何だ?』って問いかけてくるものなんですよ」
松浦さんはつねに最新のレコードを買いあさるだけでは飽き足らず、スティーブ・レイシー、ジョニー・ハートマン、ジョージ・ルイスなど、前衛からニューオリンズまで幅広いスタイルのミュージシャンたちのライブを函館で主催した。
「新しい才能と出会いたくて、西ドイツ時代のメールスジャズフェスティバルには、『DIG』の中平穂積さんやジャズ評論家の副島輝人さんと一緒によく行きました。オーネット・コールマンやサン・ラなどたくさんのライブをヴィデオに撮りました。オーネットにはオリジナルのヴィデオをあげました。野外だから電源がないのでホテルで夜も寝ないで充電しましたよ。まだ日本で紹介される前のアーネット・ピーコックを観たときには驚きましたね。エヴァン・パーカーを初めて目の前で聴いたときは身体の震えが止まりませんでした」
2007年、松浦さんに大きな災難が降りかかる。「バップ」の上階の中華料理店が火災を起こし、消火活動の影響で店内が浸水してしまい営業不能になってしまったのだ。
常連客が所有していた「デューク」というレストランが休業していたのでその物件を提供してもらい、3カ月後に再開するが、店のトレードマークだったJBLパラゴンは狭くて置けず、創業のときに使っていたJBLランサー44を置いた。レコードの再生はあきらめ、CDを流している。
「ジャズ喫茶を名乗るのはおこがましくて、いまは看板から《ジャズ》を取っています。ただ、ジャズの話をしたいという人はいつでも歓迎しますよ。私からジャズを取ったらなんにも残らないしね。そして今もまだ新しい刺激を求めています。ジャズはいまちょっと停滞期なのかもしれませんが、必ずまた出てきますよ。それがジャズだと気づいている人はまだいないのかもしれませんけど」
バド・パウエルの大きな写真の前で松浦さんは背筋を伸ばし、胸をぐっと張った。(了)
photo & text by 楠瀬克昌
BOP/バップ
- 店主:松浦善治/1970年11月3日
- 住所:北海道函館市新川町9-14(旧デューク)
- アクセス:市電「新川町」駅より徒歩2分
- TEL: 0138-22-7211 (HP:なし/SNS:なし)
- 営業時間 11:30〜20:30 (休:木曜)
- 席数:15席(喫煙可)駐車場3台
- 所有ディスク数:CD約200枚
- メニュー: コーヒー450円 ジュース500円 ミルクティー600円 ビール600円 ウィスキー800円 各種(チキン、五目、カレー)ピラフ+ドリンクセット800円
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