いろんな呼び方のあるジャズ喫茶。
ジャズ喫茶にとっては、ジャズ喫茶巡礼者、つまりたくさんの店を巡りまわる者はいきずりの客に過ぎない。ひとつの店にとことん通いつめてくれる客のほうがありがたいというものだ。
私にも、初めて入ったときから閉店となるまでずっと付き合い続けた店が一軒だけある。
それは西早稲田の「モズ」という店だった。
ジャズ批評の『ジャズ日本列島61年版』によると、この店の創業は1955年6月30日。いま東京で営業しているジャズ喫茶の中ではいちばん古い日暮里の「シャルマン」と同じ年だ(注:『シャルマン』は2022年に閉店)。
1960年の創業で東京でいまニ番目に古いジャズ喫茶、明大前「マイルス」の本山雅子店主に「店の造りがどことなく『モズ』に似ていますね」と言ったら、
「もず? もちろん知ってるわよ」と答えた。
早稲田大学のジャズ研のひとつ、ハイソサエティオーケストラOBの一関「ベイシー」菅原正二マスターからは、
「もずに行ってたんだって?」とにっこり笑いかけられた。
この店にはいろんな呼び方がある。
「もず」「モズ」「MOZU」「MOZZ」。
どれも正しいといえるし、違うともいえる。
私が知っているのは「モズ/MOZZ 」という呼び名で菅野裕子という女性が経営している店だった。
彼女はこの店の3代目で、その前の2代目も女性だったらしい。
東日本大震災で大津波に流されてしまった岩手でもっとも古いジャズ喫茶、大槌町「クイン」の佐々木賢一店主は、東京での学生時代の思い出として『おれたちのジャズ狂青春記』(ジャテックバード)に次のように「もず」のことを書いている。
私に初めてレコードとプレーヤーの名前をしっかりと植えつけてくれたジャズ喫茶は、早大裏手にある小さな二階の店『もず』であった。挫折感があった日々、いつも気になっていた店だった。その夜は勇気を出して階段を登っていった。誰もいなかった。オジさんマスターがゆっくりと珈琲を入れながらレコードを廻した。「クリフォード・ブラウン+マックス・ローチ」のレコードであった。鮮烈であった。ある時は静かに優しく、そして時には厳しく激しく、勇気を与えてくれるようなそんな感じがした。この時以来、落ち込んでしまった時にはジャズが一番フィットすると信じてしまった。
佐々木氏の話は60年代の始め、東京オリンピック直前のことだ。「オジさんマスター」とは初代店主のことだろう。
地下鉄東西線の上を通っている早稲田通りと、早大裏手のグランド坂が交差するところの角に、前野書店という法学部や政経学部の教科書や岩波書店の『世界』など、硬いものばかりを売っていた小さな本屋があったが(注:今は立派な建物に改築)、その本屋の隣の隣の八百屋の2階に「モズ」があった。
八百屋の脇の小さな階段を上がっていくのだが、真っ暗で角度のきつい階段を上がるのは大の男でも不安を感じるものだった。
「勇気を出して階段を登っていった」と佐々木賢一氏が振り返っているように、「モズ」の階段の不気味さは尋常なものではなく、ジャズ喫茶に慣れている客でも「最初は怖かった」「入りづらい」という人にたくさん会ってきた。
この八百屋の脇の階段の下に「モズ」のトイレがあった。客はいったん外に出て階段を降りて、人間がひとりやっと通れるような狭い路地に入って建物の脇にあった「トイレ」の引き戸を右から左に引いて中に入らなければならなかった。昭和20年代後半にできた建物なので当然和式だった。ここで用を足していると頭上の階段を上がり下りする客の足音がかなりうるさく響いて聴こえた。常連客の足音のときはそれが誰だかわかることも少なくなかった。
「モズ」の階下にあった八百屋は、いまは「フロム・ハンド・トゥ・マウス」という自然食系無国籍料理を出すカフェとなっている。
「モズ」のあった2階は10数年前からパソコン教室かインターネットカフェのようなものになっていたが、いまも営業しているのかどうかは知らない。「モズ」は窓がまったくない店だったが、いまは早稲田通りに面して窓がひとつ開けられている。
タモリと久米宏。「笑っていいとも!」の謎。
フジテレビの「笑っていいとも!」が終了する直前 、2013年12月25日の《テレフォンショッキング》に番組史上初めて久米宏が登場するが、タモリと早稲田大学の思い出を語るときに、この「モズ」が出てくる。
このときのやりとりはYouTubeに上がってはいるが、どういうわけかいまネット検索で見ることができるのは、その「モズ」についてのやりとりがカットされたものしかない。カットされていない部分を私が見たのは一度だけなのだが、そのやりとりを速記的に書き残しているブログがあった。ほかにも似たようなブログがあるなかで、それが私の記憶にいちばん近いものだったので以下にそれを抜粋しよう(NOZAWA22 NEW!『久米宏・吉永小百合・タモリ(森田一義)一年ずつ違う早稲田の同窓』より(注:2023年1月現在このブログは閉鎖されている模様)。このブログの速記的部分ではタモリのことを『森田』としてある)。
森田「どういう店に行っていました?」
久米「多分、喫茶店は同じ店に行っていました」
森田「どこです?」
久米「モズ(平坦なアクセント)」
森田「えっ? モズ(尻上がりアクセント)、モズ↑へ行ってたんですか?」
久米「行ってました。あそこはコーヒーうまかったな」
森田「ボクはしょっちゅう行っていました」
久米「モズ(平坦アクセント)でしょ。モズ↑っていうんですか?」
森田「モズ↑って…」
久米「私たちはモズ↓」って言っていました。黒塗りでね、中が黒塗りでね」
森田「そうそう」
久米「モダンジャズ研究会の方が出入りしているから知っていたのです」
森田「あの中にいました」
久米「あの時、森田さんがモダンジャズ研究会に入ってることは知りませんから」
森田「もちろん、そうですね」
久米「ボクはモズにはよく行ってました」
森田「エーッ! もう、ウワー、これはすごいよ。ボクもしょっちゅう行っていました」
久米「じゃあ、隣くらいで会っているかもしれませんね」
この会話を聞いたときに私もはっきりと覚えているのは、店を呼ぶときの2人のアクセントがまったく違うところだ。久米宏は「もず(↓)」と下がり、タモリは「モズ(↑)」と語尾が上がるアクセントで、どちらも自分のアクセントが正しいと思っているようだった。
村上春樹とモズのコーヒー。
久米宏が早稲田大学に通いはじめたのが1963年からでタモリは1965年からだ。
2人が店で顔を合わせたことはなかったようだが、ちょうど1965 年か1966年ごろにこの店の経営者が変わっている。
2人のアクセントの違いは、この経営者の交代と関係があるのではないかと私は思う。「マイルス」の本山店主や「ベイシー」の菅原マスターのアクセントも「もず(↓)」だった。タモリより歳上のこの2人は、「もず」というジャズ喫茶のことをおそらく1965年以前から知っていたと思われる。
本山店主は同業者として1950年代後半から知っていたかもしれない。また、1961年に一関から大学受験のために東京にやって来たその日に新宿のジャズ喫茶「木馬」に直行したほどのジャズ喫茶好きであり、早稲田の大隈講堂隣の予備校に通っていた菅原マスターが、その頃「もず」に行ったことがないとは考えにくい。
そしてタモリや私が知っているのは「モズ(↑)」の時代だ。
なぜ「もず(↓)」から「モズ(↑)」になったのか。それはおそらく3代目の「モズのオババ」になったころから、この店が早稲田大学モダンジャズ研究会の学生たちの部室のような雰囲気になったからではないか。
語尾が上がる「モズ(↑)」というアクセントは、バンドマンたちが固有名詞を呼ぶときに好んで使うものだ。
大槌町「クイーン」の佐々木店主が述懐する東京オリンピック前の「もず」の描写からは、「ゆっくりと珈琲を入れてくれる」マスターのいる、落ち着いたしみじみとした印象を受けるが、私の知っている「モズ」は、ジャズ研の学生たちでいっぱいのにぎやかなカオスだった。
創業当初の「もず」はおそらく鳥類の「百舌」「百舌鳥」からきたものだろう。昔の飲食店には少なくない名前だ。そしてこの店がオープンした1955年当時は、まだ「モダン・ジャズ喫茶」と名乗りを挙げる店は日本にはまだごくわずかで、1953年にオープンした東京・西新橋の「ONIX(オニックス)」の例があるくらいだ。(「ジャズ喫茶はいつからジャズ喫茶となったのか」参照 )。
しかし、ダンモ学生たちのたまり場になってからは「MOZU」ではなく、「MODERN JAZZ」を省略したようにみえる「MOZZ」という表記が店の看板に使われるようになり、「モダンジャズをちぢめてモズ」と店名の由来を解釈する客が多くなった。
振り返ると久米宏とタモリの「もず/モズ」についてのやりとりは、どうもギクシャクして噛み合っていなかった。
上の抜粋部分にはないが、私の記憶では久米が「もず」の名前を出したときにタモリはとっさに「モズのオババ」と口にしたようだった。それに対して久米は無反応で、久米が「コーヒーがうまかった」といったときにタモリはそれにきちんと応じていない。
2人が通ったというこの店は、実は経営者が違っていたのではないかと思う。
おそらく久米宏は「モズのオババ」こと菅野裕子とは会ったことがないのかもしれない。またのちに村上春樹が「とびっきり不味いコーヒー」と書いたといわれる「モズのオババ」が入れたコーヒーも飲んだことはなかったのだろう。
text by 楠瀬克昌
【関連記事】:連載第2回 さらばジャズ喫茶「モズ」のオババ②/バリケードの中のジャズ
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【写真:西早稲田のジャズ喫茶「モズ」のマッチ/画像提供:松浦成宏】
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