ジャズ喫茶のマッチ・関東

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「ジャズ喫茶のマッチ」、今回からは関東エリア。

松浦成宏さんが1970年代から80年代にかけて入手したコレクションの中から、

神奈川と東京都の一部の店からスタートです。

川崎「ペーパームーン」のマッチ・ジャズ喫茶案内
川崎市本町の「ペーパームーン」。1988年に初めて訪問しました。ヴォーカルとブルースが流れていた店でした。サイフォンで入れた珈琲がおいしかったです。スピーカーは天井近くに設置されていました。(松浦)
横浜「ちぐさ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
1933年(昭和8年)創業の現存する最古のジャズ喫茶「ちぐさ」。1980年に初めて国鉄(JR)桜木町駅近くにあったお店に訪ねてマッチをいただきました。以来、幾度か訪ねています。リクエスト用の分厚いレコード・リストをマスターがテーブルに持ってきてくれたのが印象深いです。ジャッキー・マクリーンやコルトレーンなどをリクエストしました。スピーカーは特注(ウーハーはJBL)で大きかったです。2007年にいったん閉店したのち、移転して2012年に再オープンしました。(松浦)
八王子「はり猫」ジャズ喫茶案内
東京都八王子市の「はり猫」。1988年に初めて訪れてマッチをいただきました。可愛らしい猫&カップのイラストの絵柄が洒落ています。4階までの階段を登っていったのを覚えています。天井が高く広々としており、ゆったりと主流派ジャズを楽しめました。スピーカーはJBL4343でした。いまも健在ですが全席完全禁煙になっています。(松浦)
祥寺「スクラッチ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
1974年に、初めて吉祥寺を訪れたきに他店からの帰り際に看板に気がつき入店しました。同年オープンだったようです。再訪したときにマッチをいただきました。洒落た店内でゆったりとした席でくつろいでフュージョン、ヴォーカルものなどが聴けます。スピーカーはJBLでした(いまはBOSE)。いまもジャズバーとして健在。(松浦)
吉祥寺「西洋乞食」ジャズ喫茶案内
東京・吉祥寺「西洋乞食」。オープンしたばかりの1974年に訪ねてマッチをいただきました。広い店で西洋アンティークがありました。ヴォーカルやイージーリスニング的なジャズが流れていました。スピーカーはアルテック・サンタナ。(松浦)
吉祥寺「ファンキー」ジャズ喫茶案内
1960年創業の老舗「ファンキー」。1974年と1975年、映画館スカラ座、日活前(現在はパルコ)にあった頃に訪れていただいたマッチ。コルトレーン、ロリンズなどをよく聴きました。パルコ裏に移転後、私が東京勤務を始めた1981年からも幾度か訪ねました。JBLパラゴンを日本で初めて置いたジャズ喫茶だそうですが、このスピーカーは今も健在、ジャズが流れるダイニングバーとして営業しているようです。(松浦)
吉祥寺「メグ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
ジャズ評論家としても著名な寺島靖国氏が経営する「メグ」。1974年に初めて訪れて以来何度も行きました。スピーカーはJBLオリンパスでした(いまはアバンギャルド)。マッチの絵柄がとても気に入っています。主流派ジャズからクロスオーバーまで、時代とともに流れるものも変遷していきました。いまは夜はライブも行なうジャズ喫茶として健在。(松浦)
吉祥寺「A&F」のマッチ・ジャズ喫茶案内
「A&F」。店名は「ART」と「FRIEND」から。1981年に初めて訪れてマッチをいただきました。大好きな店で、 狭い階段を登ってビルの2階まで上がりました。JBLとアルテックのスピーカーがあり、JBLの大きな表示が印象に残っています。2002年に惜しまれながら閉店。(松浦)
吉祥寺「アウトバック」のマッチ・ジャズ喫茶案内
「アウトバック」。1974年に近鉄デパート近くにあったお店に初めて入りました。カラスのイラストが気にいってます。店内は黒っぽい感じでスピーカーの上にはカラスの剥製が置かれていました。スピーカーはアルテックA-211。現在は移転してお洒落なジャズバーとして営業。(松浦)
吉祥寺「ファミリー」のマッチ・ジャズ喫茶案内
近鉄デパート裏、「メグ」の近くにあった「ファミリー」。1974年に初めて訪れ、幾度か訪ねました。店名のように家庭的なレストランのような感じでした。ジャズ評論家のいソノてるヲ氏のレコードコンサートを定期的に行なっていたようです。主流派ジャズが流れていました。スピーカーはJBL。(松浦)
新宿「モア」ジャズ喫茶案内
吉祥寺・プチロードの、蔦に絡まれた古い感じのビルの2階にある「モア」。1982 年に訪れてマッチをいただきました。店内はログハウスのような雰囲気でよかったです。昼間はジャズ喫茶、夜はバー。スピーカーはKLHでした(今はソナスファベール)。今も健在です。(松浦)
吉祥寺「ジョン・ヘンリーズ・スタディ」ジャズ喫茶案内
吉祥寺・プチロードの山水ビル3階にある「ジョン・ヘンリー・スタディーズ」。同じビル2階の「モア」と同じく寺島靖国氏のお店。オープンして2年目の1982年に訪れてマッチをいただきました。フィル・ウッズなど私の好きなプレイヤーが流れていました。現在はジャズの聴けるカフェバーのようです。(松浦)
吉祥寺「サムタイム」ジャズ喫茶案内
1975年創業の吉祥寺の老舗ライブハウス「サムタイム」。野口伊織氏の有名なお店で昼間はジャズ喫茶タイムがありました。1982年に初めて北口サンロードISEYA地下のお店に訪れて以来、幾度か通いました。煉瓦の壁、天井のむき出しの空調設備、中2階の席、シカゴの地下街をイメージし店内の設計でインテリア・デザイン賞を受賞しています。スピーカーはJBLランサーでした。(松浦)
吉祥寺のジャズ喫茶のマッチ
60〜70年代のジャズ喫茶の古いマッチをお持ちの福山信一郎さんのコレクションから、1973〜74年頃のもの。上左は老舗「ファンキー」。上右は近鉄デパート裏にあった「フィフティ」。「メグ」や「ファミリー」のすぐ近くにあり、クロスオーバー系がよくかかり、朝方まで営業していました。下左の「メグ」のマッチは、同店が70年代前半に使っていた古いロゴが使われています。松浦成宏さんがお持ちのハンフリー・ボガートをあしらったデザインは1980年からのもの(ちなみに画像はありませんがコーヒーカップに手が伸びているイラストをあしらったものは1970年代後半のもの)。「ファミリー」も70年代後半以降のものとは色もデザインが違う、初期のものです。(ジャズ研ジャズ喫茶部さん)
高円寺「ホットハウス」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)高円寺駅北口中央通入り口地下にあった「ホットハウス」。1974年に訪れてマッチをいただきました。マッチの文字がALTECA7のスピーカーの形、ホーン等の文字化でかっこいいです。デクスター・ゴードンなどハードバップのレコードがかかっていて本格的なジャズ喫茶でした。(松浦)
高円寺「as soon as」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)高円寺駅南口近くのビルの2階「As Soon As」。1974年と75年に訪ねてマッチをいただきました。村上春樹氏が1974年に国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開く前の一時期、ここでアルバイトをしたこともあったようです。ライブもやっていたようです。スピーカーはアルテックA-7とJBLオリンパス。(松浦成宏)
荻窪「グッドマン」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)荻窪駅前の菓子屋の2階にあった「グッドマン」。店名はベニー・グッドマンからとったようです。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。壁には色々なレコードが飾ってあった記憶があります。スイング、モダン、フリージャズと幅広く流れていました。スピーカーはアルテック。その後ライブ中心になりましたがジャズ喫茶タイムがあった時までは何度か訪れました。現在は高円寺に移転してライブハウスになっているようです。(松浦)このマッチの絵は名古屋の画家、演出家岩田信市による「Running Man」。岩田氏は1965年頃に名古屋のモダンジャズ喫茶の草分け「グッドマン」のオーナーとなり、東京・荻窪の「グッドマン」は名古屋のスタッフが東京で開いたもの。店名は岩田氏によるとベニー・グッドマンと当時垂涎の的だったスピーカー、「グッドマン」の両方をかけたものとか。(ジャズ研ジャズ喫茶部)
新宿「DIG」ジャズ喫茶案内
「DIG」の姉妹店「DUG」。1974年に紀伊國屋ビル裏の地下にあった店を訪ねてマッチをいただきました(写真の一番左)。1977年に靖国通りのアドホックビル隣に「NEW DUG」がオープンしたのち、1987年に「DUG」がモアビル4階に移転したころにいただいたのが写真真ん中のマッチ。その後エフエスビルに再移転したときのマッチが写真右端。住所を手書きで修正しています。このエフエスビル地下店は閉店となり、現在の「DUG」はアドホックビル隣店に。(松浦)
新宿「木馬」ジャズ喫茶案内
新宿・歌舞伎町に1951年創業、1971年にコマ劇場そばのビル地下に移転した「木馬」。初めて訪ねたのは1974年ですが、マッチをいただいたのは、東京で働き始めた1980年からです。写真の一番上は裏表同じデザイン。2番目と3番目は裏表に違う文字が入ったデザインのものです。約80坪ほどある広い店で、アンティークな時計、蓄音機などが洒落ていました。スピーカーはパイオニア。(松浦)
新宿「ポニー」ジャズ喫茶案内
1953年創業の老舗で植草甚一氏や中平穂積氏も通ったことがあるという「ポニー」。1974年に初めて新宿歌舞伎町コマ劇場近くのお店を訪ねました。ビルの地下1階にあり広いスペースの店でした。ソニー・ロリンズなどのメインストリームのジャズが流れていました。スピーカーはコーラル。(松浦)
新宿「DIG」ジャズ喫茶案内
新宿東口、アカシアビル3階にあった「DIG」。1961年に中平穂積氏が始めた有名なこの店には1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。ブュッフェの絵がお気に入りです。店内にはたくさんの古時計や写真が飾ってあり、珈琲が美味しかったです。コンボ・ジャズがほとんどで、コルトレーン、マイルスなど私の好きなものがよくかかっていました。スピーカーはJBLプロシリーズ。(松浦)
新宿「ナルシス」ジャズ喫茶案内
新宿・歌舞伎町の雑居ビル2階にある「ナルシス」。1982年に初めて訪れて以来、何度も通っています。エリック・ドルフィーの絵柄が気に入っています。ジャズ関係の古い雑誌がいろいろあって読みながら心地よいジャズを聴いていました。いまも健在。(松浦)
新宿「スティック」ジャズ喫茶案内
「DIG」の入っていた新宿東口のアカシアビルの2階にある「スティック」。1982年以来、何度も訪れてマッチをいただきました。いまも健在で、ジャズバーですが珈琲もオーダーできます。(松浦)
新宿「ビザール」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)新宿駅東口から歩いてすぐのところにあった「ビザール」。1974年に初めて訪れたときにいただいたマッチです。ビートたけしがこの店でボーイをやっていたといわれています。スピーカーはGOTOユニット+ パイオニアのツィーターでした。その後1980年に新宿3丁目の末広亭の近くにできた姉妹店「ビザールⅡ」にも行きました。こちらもスピーカーはGOTOユニット。地下1階の店でしたが、1階入り口あたりまでジャズが流れて道路でも聴けました。現在は新宿2丁目に移転して「びざーる」の名でロック中心にかけるショットバーになっているようです。(松浦)追記:①ビートたけしは『びざーる』で働いたのちに同じ歌舞伎町のジャズ喫茶『ビレッジバンガード』でもアルバイトをやっていたようです。②『びざーる』のマッチ裏に描かれている絵は、サインから推定するに『スイングジャーナル』で1966年から67年にかけて22回連載された「ジャズ喫茶漫歩 だんも・だんも」というジャズ喫茶紹介記事の絵と文を寄稿した富田英三のようです。(ジャズ研ジャズ喫茶部さん)
新宿「ピットイン」ジャズ喫茶案内
新宿でいまも健在のライブハウスの老舗「ピットイン」。1974年に初めて訪れましたが、当時はクラブとは別にジャズ喫茶のような狭い小部屋がありました。私が持っているマッチよりも古いものには「MODERN JAZZ CLUB」に「TEA ROOM」の文字が併記されていました。特注のアルテックのスピーカーがありました。下のマッチは新宿2丁目に移転後のもの(六本木店は2004年に閉店)。何度も通ってライブを楽しんでいます。(松浦)
新宿「タロー」ジャズ喫茶案内
番外編ですが、新宿・歌舞伎町にあった1965年創業のジャズクラブ「タロー」。ジャズ喫茶のような狭い空間でスピーカーはジムラン(JBL)のLE8Tでした。マッチをいただいたのは1974年に訪れたときで、大好きなアルトサックス奏者、大友義雄グループが出演していました。(松浦)
四谷「いーぐる」ジャズ喫茶案内
JR四谷駅近くの「いーぐる」。ジャズ評論家としても著名な後藤雅洋氏が経営するお店です。1981年に初めて訪ねて以来、何度も通っています。地下に降りる階段には有名なジャズ・ミュージシャンなどのポスターが貼られ、店内にはジャズの本がいろいろ置いてあります。大きなJBLのスピーカーからコルトレーン、マイルス、ロリンズなどが流れていました。夜6時以降はおしゃべりができてカフェバーのようですが、それまでの時間は会話厳禁の昔ながらのジャズ喫茶のスタイルです。いちばん上のマッチは裏表が同じデザインで80年代のもの、下のものはそれより後のものです。(松浦)
高田馬場「マイルストーン」ジャズ喫茶案内
高田馬場駅前BIG BOX方向にある「マイルストーン」。1981年に初めて訪ねて以来、何度も通ってマッチをいただきました。改装してからは明るく綺麗で女性でも入りやすそうな店内になりました。棚にはたくさん本が置いてあります。主流派のジャズが心地良い音量で流れていました。スピーカーはいまはJBLオリンパス。(松浦)
高田馬場「イントロ」ジャズ喫茶案内
高田馬場の「イントロ」。1976年に国鉄(JR)近くの同店に初めて入りました。その後再訪してマッチをいただきました。チャーリー・パーカーの絵柄がお気に入り。地下1階にあり黒っぽい雰囲気でジョン・コルトレーンがかかっていました。コルトレーンのアルバムは全部揃えているようです。スピーカーはJBLプロ4560。いまは以前よりも店内は明るくなり、バータイムもありますがライブセッション中心の店として健在。(松浦)
西早稲田「モズ」ジャズ喫茶案内
新宿区、早稲田大学近くの「モズ」。昭和30年(1955 年)創業の古い店。初めて入ったのは1981年で、再訪してママさんからマッチをいただきました。狭い階段を上がると2階の店内は暗く、早稲田の大学生らしき人たちがいました。風格のあるジャズ喫茶でソニー・スティットなど渋い演奏が流れていました。1994年にすぐ近くに移転してジャズバーのようになってからも訪れましたが、2003年に閉店したようです。(松浦)
御茶ノ水「ナル」ジャズ喫茶案内
JR代々木駅近くにある創業1966年の「NARU」。80年年代初めて訪れてマッチをいただきました。本格的なジャズ喫茶でかなりの音量で4ビートジャズを流していました。スピーカーはJBL。2000年の初めに改装されたときにはジャムセッションに参加したこともありました。1969年に御茶の水にオープンしたライブハウスの姉妹店「NARU」にも幾度か訪れました。代々木店もいまはライブハウスとなり、御茶の水店とともに健在。(松浦)
渋谷「メアリージェーン」ジャズ喫茶案内
JR渋谷駅南口から歩いて数分のところにある「メアリー・ジェーン」。入り口には「Since 1972」と書かれていて、渋谷で70年代から残っている唯一のジャズ喫茶です。80年代初めから幾度も訪れてマッチをいただきました。階段にはたくさんのポスターが貼られていて、店内にはジャズ関係の本が充実していました。気軽に入れるジャズカフェとしていまも健在。(松浦)
渋谷「デュエット」ジャズ喫茶案内
1954年創業、渋谷の道玄坂小路にあった「デュエット」。1975年に初めて訪ねたころは2階建てのお店で2階が本格的なジャズ喫茶でした。小さなお店で女性も入りやすい感じでした。スピーカーはJBLでした。1981年に東急本店向いに移転、その数年後に再訪してマッチをいただきました。店の様子はかなり変わり、ジャズを聴かせるカフェバーのような感じでした。スピーカーはサンスイに変わっていました。その後閉店。(松浦)
中野新橋「ジニアス」ジャズ喫茶案内
1970年に創業、渋谷の道玄坂小路にあった「ジニアス」。初めて訪れたのは1975年ですが、中目黒に住みはじめた80年代初めからお気に入りの店でよく訪れてマッチをいただきました。台湾料理店の向いのビルの地下1階にあり、ヴァイタボックスの大きなスピーカーが置いてありました。大音量でマイルス、コルトレーン、ロリンズなどメインストリームのジャズがかかっていました。90年代になってから中野新橋に移転しましたが、そこで新しいマッチをいただき、親切なマスターと渋谷にあった頃の話ができました。いまも健在のお店です。(松浦)
渋谷のジャズ喫茶「きゅりお」のマッチ©松浦成宏
渋谷・道玄坂から百軒店へ入ってすぐの雑居ビルの1階にあった「きゅりお」。2000年頃に訪ねてマッチをいただきました。カウンター席とテーブル席のある小さなお店でした。壁にLPが飾られて粋でした。隠れ家的なジャズ・スポットでした。メインストリームのジャズが流れていました。マスターは元バンドマンだったようです。残念ながら昨年4月に閉店。(松浦)
渋谷「シーバード」ジャズ喫茶案内
地下鉄表参道駅から数分、青山学院高等部正門近くにある「シーバード」。80年代後半に初めて訪れ、2000年頃に再訪してマッチをいただきました。地下のお店で家庭的な雰囲気です。サンドイッチなどの軽食が美味しかったです。スピーカーはJBLでした。ライブが多く、いまも健在です。(松浦)
渋谷「音楽館」ジャズ喫茶案内
渋谷・道玄坂の百軒店にあった1964年創業の「音楽館」。80年代の初めから何度も訪ねてマッチをいただきました。マッチの文字と絵柄は裏と表で左右が対称になっています。小さなビルの2階にあり、コルトレーンやロリンズなどの写真パネルが飾られていました。美人で感じのいいママさんからリクエストファイルを持ってきていただいた覚えがあります。かなりの音量でアルテックのスピーカーからジャズが流れていました。2000年末頃に「Jazz@Groove」と店が変わり、残念ながら2004年に
閉店となりました。(松浦)
東京・下北沢のジャズ喫茶「マサコ」のマッチ©松浦成宏
80年代初めから幾度も下北沢の「マサコ」を訪ねました。1953年創業の有名な店です。このマッチは2003年頃にいただいたもの。このマッチの絵はジャズ・アートで著名な久保幸造の作品。一戸建ての建物の1階がジャズ喫茶になっており、様々な椅子やテーブルがあって居心地のよい店でした。女性スタッフが美人でした。コルトレーン、ロリンズなど、好きなサックス奏者の演奏が聴けました。スピーカーはJBL4343B。多くの人に惜しまれながら2009年9月に閉店。(松浦)
明大前「マイルス」ジャズ喫茶案内
創業1960年、京王井の頭線明大前駅近くの「マイルス」。90年代末に初めて訪れてマッチをいただきました。1966年、ジョン・コルトレーンがコンサート終了後に来店したこともあるそうです。3度目に行ったときにママさんからコルトレーンが座ったカウンターの席に案内していただきました。ジャッキー・マクリーンやビル・エヴァンスが演奏するBeatiful Loveをリクエストして聴かせていただきました。マイルスやコルトレーンの写真パネルがありました。今も健在ですが夕方からの営業になっているようです。(松浦)
中目黒「A列車」ジャズ喫茶案内
東京・中目黒にあった「A列車」。1980年に中目黒に住み始めて目黒銀座通りを歩いていたときにJazz Coffee&Snackの看板を見つけて入りました。以来、何度も通ってマッチをいただきました。入り口から階段を上がるところに大きなコルトレーンのポスターがありました。スピーカーはアルテックのA7でメインストリームなジャズが流れていました。2006年に寡黙で親切なマスターが亡くなり、残念ながら28年続いた店が閉店となりました。(松浦)
目黒「ちゃばん」ジャズ喫茶案内
中目黒に住んでいた80年代初めに目黒・権之介坂にあった「ちゃばん」に訪れました。当初はジャズ喫茶の雰囲気が十分にありました。コーヒーも頼めました。何度か再訪して数少なくなっていたマッチをママから頂きました。店内には色々な映画ポスターが飾っていました。映画「がんばっていきまっしょい」などの磯村監督の奥様がママでした。1975年創業でジャズ・バー、ライブもある店で営業されていましたが2013年に閉店。(松浦)
目黒「まつ」ジャズ喫茶案内
東京・目黒区、東急池上線荏原中延駅に近くにある「まつ」。90年代初めに訪れて以来、何度か通ってマッチをいただきました。1階がジャズの店、2階が雀荘というユニークな店です。1969年創業で、近くにある東京工業大学の学生もよく訪れているようです。スナックですが珈琲をはじめソフトドリンクの種類も多く、マスターからは新宿「ピットイン」の昔のエピソードなどをうかがいました。スピーカーはJBL。今も健在で「なかのぶジャズフェスティバル」に企画運営などで協力しています。(松浦)
阿佐ヶ谷「鈍我楽」「吐夢」ジャズ喫茶案内
ジャズ喫茶マッチの収集家として有名な矢野氏が阿佐ヶ谷で経営していた3軒の店のマッチ。「俄楽亭」は、2000年12月から半年ほど漫画喫茶からジャズ喫茶に変わったときに訪ねてマッチをいただきましたが、その後閉店。スピーカーはJBLでした。「吐夢」はいまは元夫人が経営するジャズバーになっています。店名の文字は漫画家永島慎二氏の筆によるもので、マッチの絵も永島氏が描いたもの。「鈍我楽」は矢野氏がオーナーですが、いろんなジャンルの音楽がかかるバーとして健在です。
銀座「ジャズカントリー」ジャズ喫茶案内
東京・銀座、泰明小学校の近くにあった「ジャズカントリー」。80年代半ばごろから何度か訪れてマッチをいただきました。雑居ビルの地下にある隠れ家的な店でした。マッチに書かれている「Tea Time」によく立ち寄りました。かなりの音量で60年代前後のメインストリームのジャズが聴けました。スピーカーはJBL4320でした。一昨年に一度閉店しましたが、昨年1月にすぐ近くのシェリー酒専門店「しぇりークラブ」の建物内に移転、復活しています。(松浦)
小岩「珈琲園」ジャズ喫茶案内
1961年創業、国鉄(JR)小岩駅の近くにあった老舗「珈琲園」。1975年に初めて訪れ、幾度か通いました。1階がふつうの喫茶店で2階がジャズ喫茶でした。フィル・ウッズやジャッキー・マクリーンなど、好きな演奏がかかっていました。スピーカーはJBL。マッチの表のサックス、裏のフィル・ウッズの絵柄が気に入ってます。(松浦)
飯田橋「ラグタイム」ジャズ喫茶案内
JR飯田橋駅西口近くの「ラグタイム」。90年代中頃に訪れマッチをいただきました。入り口にはトランペットを吹いているルイ・アームストロングらしい置物が飾られています。地下を降りるとアップライトのピアノがある洒落た店でライブもやっているようです。創業は1986年。珈琲が美味しくて、いまも健在です。(松浦)
赤坂「橋の下」ジャズ喫茶案内
東京・赤坂のTBS通りにある「橋の下」。務めていたオフィスが霞ヶ関ににあった1981年に初めて訪れましたが、その後、オフィスが赤坂に移ってからも何度も通っています。親切なマスターでジャズの話をよくしました。2007年にリニューアルして壁にレコードジャケットを沢山並べるようになり、ジャズ喫茶度が上がりました。主流派の、私の好きなジャズが流れていてお勧めの店です。スピーカーはJBLL−40。食事メニューが豊富でヴォリュームも多いため、昼間は近隣のオフィスに勤める人たちのダイニングとしても人気。(松浦)
阿佐ヶ谷「マンハッタン」ジャズ喫茶案内
番外編のライブハウスですが、2000年初めの頃にサックスの素人仲間で阿佐ヶ谷駅近くにある「マンハッタン」を訪れ、ジャム・セッションの練習をしていました。以来、何度も通っています。練習の合間にコーヒーなどのソフトドリンクをオーダーできました。ベテランのミュージシャンでもある親切なマスターがかける渋い曲が聴けました。スピーカーはJBL。(松浦)
中野「ハラーズ」ジャズ喫茶案内
JR中野北口にある「ハラーズ」。中野の有名なジャズ喫茶「ビアズレー」と同じ原田充氏が経営する店です。外観にジャッキー・マクリーンが描かれていてジャズ喫茶の雰囲気がありました。店内はアメリカ西部開拓時代ふうのウッディな造りがよかったです。ジャズ、ソウル、ロックが聴けるバーとして今も健在。(松浦)
中野「ウルム」ジャズ喫茶案内
JR中野駅南口近くにあった「ウルム」。喫茶・スナックのようでしたがジャズ喫茶的な雰囲気がありました。90年代中頃に訪れマッチをいただきました。ランチタイムの時間だったので珈琲を飲みながらジャズを聴きました。アンティークな置物があって洒落た雰囲気でした。ジャズ・ライブもやっていたようです。(松浦)
銀座「スイング」ジャズ喫茶案内
1976年創業のライブハウス「銀座スイング」。初めて訪れたのは80年代中頃で北村栄治などのライブを体験しました。2000年初め頃からはランチタイムにイギリス人の元同僚と何度もカレーを食べに行きました。スピーカーから本格的なジャズが流れるのを聴きながら食後の珈琲を楽しみました。今は夜のライブのみで営業中。(松浦)

ジャズ喫茶のマッチ」シリーズの関東編、今回は福山信一郎さんのたいへんレアなコレクション、

そして当サイト運営管理人ジャズ研ジャズ喫茶部さん所蔵のアイテムなど、計15点を一挙掲載します。

中野「クレッセント」ジャズ喫茶案内
中野駅南口にあった有名なジャズ喫茶「クレッセント」。アルテックA7のあるモダンで明かるい店内でした。閉店になる少し前の 1973年ごろにいただいたマッチだと思います。(福山信一郎)
中野「ビアズレー」ジャズ喫茶案内
中野駅北口にあった「ビアズレー」。JBLパラゴンを置いてある店として有名でした。たぶん73〜 74年ごろのマッチ。(福山信一郎)
新宿「オールドブラインドキャット」ジャズ喫茶案内
いまも健在の新宿3丁目、三越そばの「オールド・ブラインド・キャット」。創業は1966年。70年代半ば頃のマッチ。この頃からクロスオーバーやフュージョン、ソウルミュージックがよくかかる店に。(福山信一郎)
渋谷のジャズ喫茶「メアリージェーン」のマッチ©福山信一郎
渋谷駅南口近くのジャズ喫茶「メアリー・ジェーン」。おそらく1970年代半ばごろのマッチ。渋谷でいちばん古い現役ジャズ喫茶としていまも営業中。(福山信一郎)
新宿「鈴木屋」ジャズ喫茶案内
新宿のジャズクラブ「鈴木屋」。ジャズ喫茶ではなくライブハウス。新宿二丁目の近くにあった「緑園街」がまだ飲み屋街として残っていたころにあったと思われます。1973年ごろ。1〜2年ぐらい営業していたと思います。(福山信一郎)
新宿のジャズクラブ「ピットイン」
新宿のジャズクラブ「ピットイン」。紀伊國屋ビルの近くにあった頃、70年代のマッチ。(福山信一郎)
土浦「カオス」ジャズ喫茶案内
茨城・土浦のジャズスポット「カオス」。1973年ごろのマッチ。当時僕はバンドマンのローディー、昔ふうに言えば〝ボーヤ〟をやっていまして、当時おつきあいをしていた「芳賀隆夫&仲田明宏Duo 」のライブで、仲田さんのドラムを常磐線で運んだ思い出があります。(福山信一郎)
藤沢「アルタード」ジャズ喫茶案内
神奈川県・藤沢市のジャズ喫茶「アルタード」。小田急線藤沢駅南口、小田急百貨店裏の雑居ビルの地下にありました。たぶん76〜77年ごろのマッチ。(福山信一郎)
平塚「パッパー」ジャズ喫茶案内
平塚のジャズ喫茶「パッパー」。店名の由来は真空管KT88を使ったアンプからだったように記憶しています。友人がアルバイトをしていて自宅からも歩いていける距離だったので何度か行きました。ライブの主宰もときおりやっていてソニー・スティットなど、ライブの主催もときおりやっていました。何年か前に奥様らしき人がやっていましたが、最近はわかりません。(福山信一郎)
平塚「チェシャーキャット」ジャズ喫茶案内
伊豆下田にあった「チェシャーキャット」。学生時代、夏休みにはよく下田に行ってまして、そのときに見つけた店。おそらく1973〜74年ごろのマッチ。(福山信一郎)
向ヶ丘遊園「ガロ」ジャズ喫茶案内
小田急線向ヶ丘遊園のジャズ喫茶「ガロ」。このマッチは1967年創業当時のもの。新宿「DIG」に通いつめたという女性店主による硬派な店。オリジナル盤が豊富で、チャールズ・ミンガスのレコードはすべて揃っています。マークレヴィンソンのアンプとJBLスピーカーによる往年のジャズサウンドが楽しめます。いまは夜のみの営業。(ジャズ研ジャズ喫茶部)
横須賀「ブルーノート」ジャズ喫茶案内
横須賀のジャズ喫茶「ブルーノート」。創業1979年。マスターが亡くなった後、いったん閉店となりかけましたが、2012年に移転してリニューアルオープン。いまは夜のみ営業のジャズバーに。女性店主が独りで切り盛しています。(ジャズ研ジャズ喫茶部)
東京・仙川のジャズ喫茶「レキュームデジュール」のマッチ©ジャズ喫茶案内
東京・仙川のジャズカフェ「レキューム・デ・ジュール」。店名はフランスの作家ボリス・ヴィアンの同名の小説(邦題は『日々の泡』)から。ヴィアンが生きた40〜50年代のパリの雰囲気へのオマージュに溢れた店内の雰囲気が素敵です。(ジャズ研ジャズ喫茶部さん)
前橋「ダウンビート」ジャズ喫茶案内
1974年創業の群馬・前橋の老舗「ダウンビート」。いまはアナログレコードはほぼ処分してライブ中心の店に。マッチの裏表を使ってベン・ウェブスターの肖像を描いてます。マッチに記載されている「諸橋嘉明トリオ」は、ベーシストでもある諸橋マスターのハウスバンド。(ジャズ研ジャズ喫茶部)
新宿「ナルシス」ジャズ喫茶案内
宿・歌舞伎町のジャズバー「ナルシス」の前身、「酒場ナルシス」のマッチ。現店主川島夕子さんのご両親は、戦前から現「ナルシス」のすぐ近くの雑居ビルで文壇バーを経営していました。このマッチは日本のダダイズムの中心人物辻潤と婦人解放運動家の伊藤野枝夫婦の長男で詩人、画家だった辻まことの絵とデザインによるもの。(ジャズ研ジャズ喫茶部)
当サイトの店紹介ページ→

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