書評『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』

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ジャズ喫茶とフュージョン・ブーム

「選曲はジャズ喫茶の命(いのち)」。これまでにたくさんのジャズ喫茶のマスターたちからこの言葉を聞かされた。これを「ジャズ喫茶の美学」と受け止める人は多いかもしれないが、これは「ジャズ喫茶の経営学」でもある。

1967年創業の東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」の店主、後藤雅洋が新刊『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』を発表した。ジャズ評論家でもある彼がこれまでに上梓した本の数はこれで29冊となるが、最新のジャズ・シーン(ここでの〈最新〉とは2010年代以降)を主題としたものはこれが初めてだ。なぜ今回が初めてかというと、それは「ジャズ喫茶と選曲」という問題が大きく関係しているだろう。

2017年に「いーぐる」で行われた「ジャズ喫茶の逆襲」というシンポジウムで後藤店主は次のようなコメントをしている。

ジャズ喫茶の役割はなんなのかというと、僕はジャズという音楽と、ジャズを聴きたいと思っている人、あるいは潜在的にジャズを聴きたいと思っている人たちをつなぐ架け橋になることだと思います。そういう目的にたいしてはっきりとプロ意識を持つということ。

これは非常にむずかしいんですよね。ジャズにばかり傾くと、お客さんの意向がないがしろになっちゃうし、お客さん、ファンの意向ばかりを大事にすると、かんたんに言っちゃうと非常にコマーシャルな方向にいってしまう。

ジャズを非常にいい状態でもって、ジャズファン、あるいは潜在的にジャズに関心をもっている方々にどう伝えたらいちばんいいかということを真剣に考えてもらう、それが大事だと思うんですね。

正直いいますと、僕にいまそれができているかと言うとまだ模索中で、こういうやりかたがいいんだってことはとくに言えませんけど…。少なくともたんにジャズが好きだとか、ジャズのことを一生懸命考えているとか、ジャズファン第一だとか、そういった単純なスタンスではなかなかジャズ喫茶という場を維持することはむずかしいと思います。

シンポジウムの全文はこちらで⇨「シンポジウム/ジャズ喫茶の逆襲」

「正直いいますと、僕にいまそれができているかと言うとまだ模索中で、こういうやりかたがいいんだってことはとくに言えませんけど…。」ここでの模索中とは、おそらく「現代ジャズ」をどのように今のジャズ喫茶の客に伝えるかについて指しているのだろう。

かつてのジャズ喫茶は新譜をかけることでジャズ・シーンと客との架け橋となることが比較的容易にできたが、ジャズをめぐる状況の変化によって、このおよそ30年間はそれが難しくなってきている。

簡単に言うと、ジャズ喫茶の客が求めるもの、つまり客がジャズ喫茶で聴きたいものが必ずしも「現代ジャズ」ではなくなっているからだ。

「いーぐる」は全国のジャズ喫茶の中では「現代ジャズ」の新作を比較的多くかける傾向にあるが、それでも後藤店主はそれらをかける時間帯を開店まもない午前11時半から約1時間とか、客が少なくなる午後5時から午後6時頃までの1時間という時間帯に限定しているようだ。

客の多いコアタイムを避けているのは、「現代ジャズ」をかけるにはリスクがあると判断しているからだろう。そこまで慎重にならなくてもと思う人もいるかもしれないが、このような後藤店主の行動の根底には、70年代半ば頃から80年代にかけてジャズ喫茶に押し寄せたフュージョン・ブームが残した「教訓」があるのではないか。

1973年のリターン・トゥ・フォエーバー(RTF)の登場によって日本でのフュージョン・ブームが始まったと考える人も多いかもしれないが、本格的なブームが到来したのは、クルセイダーズやボブ・ジェームス、ジョー・サンプル、スパイロ・ジャイロなどがジャズ喫茶でガンガンかかるようになった70年代後半からだ。

RTFやウェザー・リポートには従来の辛口のジャズファンも唸らせるところがあったが、当時のボブ・ジェームスやスパイロ・ジャイロの新譜あたりになると、それまでのジャズ・ファン(例えば4ビート・ジャズやアコースティック・ジャズこそがジャズであると考える人たち)との接点はかなり少なくなってくる。

そして渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」(1978年)を皮切りにネイティブ・サンのファーストアルバム(1979年)、日野皓正の「シティ・コネクション」(1979年)といった10万枚単位のメガセールスを記録したフュージョン・アルバムが次々と登場する。

多くのジャズ喫茶店主たちは「ジャズ喫茶は新譜を客に紹介する場所」という従来の方針通りにこれらの新譜を店でかけたわけだが、ここに客のニーズとの大きなミスマッチが生まれた。

私はちょうどこの時期に都内のジャズ喫茶に頻繁に通っていたのだが、1979年頃は平日でも満席という店はまだたくさんあったのだが、フュージョンが店内で始終流れるようになったのと比例するように客数が減り、1985年頃になると平日はガラガラという状態の店が大半になってしまった。

ジャズ喫茶が衰退した理由について「家でもレコードが聴けるようになったから」と説明するジャズ喫茶店主は多く、大きな流れで見ると確かにその通りだと私も思うのだが、ジャズ喫茶に客が来なくなる引き金となったのはこのフュージョン・ブームではないかと私は見ている。

その一方で「ジャズ」というジャンルがまったく下火になったかというとそれも違っていて、バブル景気の追い風もあり、80年代は「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」「ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」「マウント・フジ・ジャズフェスティバル」の3大野外ジャズフェスを中心に日本各地でジャズ・フェスティバルが開催され、史上最高の観客動員数を記録した。

ジャズを流す飲食店も好調で、吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」店主 の野口伊織が経営する「西洋乞食」「SOMETIME」やジャズ喫茶「メグ」店主の寺島靖国が経営する「MORE」「SCRACH」、高田馬場のジャズ喫茶「イントロ」店主の茂串邦明の「コットンクラブ」など、フュージョンを中心にかける店が次々とオープンする。

私は80年代の10年間、吉祥寺に住んでいたので、野口伊織と寺島靖国が次々と新店舗をオープンさせて吉祥寺が「ジャズの街」と呼ばれるまでになる過程をつぶさに見ていたのだが、それはジャズがジャズ喫茶だけではなく、ラーメン屋でも焼き鳥屋でもどこでも流れる時代へと移り変わる過程でもあった。

そして、従来のジャズ喫茶の客層にフュージョンは合わなかった。フュージョンという音楽には従来のジャズ喫茶の客が好む重要な成分であったシリアスさ、鬱屈とした感情や怒りというものが希薄で、開放的な野外やドライブなどで聴く分には快適でよく似合ったが、酒も飲まず、コーヒー1杯で薄暗い空間で腕を組み、頭を垂れながら聴いて過ごす音楽としてはいかにも軽すぎた。

結局、従来のジャズ喫茶空間とのミスマッチに音を上げた常連客が徐々に足を遠のけていったのだろう。ジャズファン人口という点ではその数が最も多かったのは80年代だが、その一方で80年代から廃業するジャズ喫茶が目に見えて増えた理由はそこにあったのではないだろうか。

野口伊織氏をはじめ複数の店舗を経営する経営者の口からは「フュージョンの店はいい」という言葉も決って出てきたものだった。つまり、オーソドックス店=コーヒー主体、フュージョン系の店=アルコール主体という図式も成立していた。必然的帰結として、経営の才覚があり、資金力もある店主等は競ってオーソドックスな既存店と並立する形で、アルコール・メニューに力を注いだフュージョン系の店を開店し始めたのだ。そして野口氏の例で見た通り、大局として、複数店舗経営者たちは並立店のうちオーソドックスな既存店を廃業していくというのが、70年代末から80年代にかけてのジャズ喫茶の趨勢だったのである。(『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』(後藤雅洋・河出書房新社)より引用)

70年代末からジャズ喫茶を襲ったフュージョンの波を後藤店主はどのようにやりすごしたのか。同書ではさらにこう説明している。

そのなかで、謙遜ではなく経営才覚も資金力も無い「いーぐる」は、実に中途半端な戦いを余儀なくされた。つまり一つの店で従来の「純粋ジャズ喫茶常連」たちも押さえつつ、かつ新たな顧客も掴もうという、まさにミッドウエイ作戦さながらの「二兎を追う」初めから失敗を約束されたような戦略であった。

具体的には、時間帯を区切って「お聴かせ店」と「飲み屋」を並立させようというのである。様々な試行錯誤が試みられた。金が無いので内装はそのままながら、テーブル、椅子の配置変更、高さの調節、照明の具合、音質、音量などなど、随分苦労したものだった。もちろん、ウイスキーの種類の増大、おつまみ類の増加は言うまでもない。

そして紆余曲折の末、現在は午後6時までは会話禁止でコーヒー主体。ただし午後2時まではパスタを中心とした軽食メニューを加えて売上の増大を図る。そして6時以降は音量も少し下げ会話ができるようにし、アルコールを売るという折衷策がとられている。

かける音楽についていえば、70年代末からの数年間はやむを得ずクルセイダーズ、デヴィッド・サンボーン、ジョー・サンプル、グローヴァー・ワシントンJr.といった定番フュージョンもかけていた。しかしそれと同時に、セシル・テイラー、ドン・チェリー、アート・アンサンブル・オブ・シカゴといったハードな連中の新譜も紹介するのだから、その選曲は本当に難しかった。この苦労は、フュージョン系の姉妹店を持たないジャズ喫茶を経営したものでなければ絶対にわからないだろう。

後藤店主は76歳になった今も毎日店に出て調理や給仕をしているが、これは人件費削減のためだけではなく、毎日、客の様子を自分の目で確かめているためでもあるだろう。客がどんな音楽にどんな反応をしているのか、それを自分の肌で感じるようにしているのだ。

このような後藤店主がいまだにコアタイムに現代ジャズを流すことを躊躇している意味は大きい。「ジャズ喫茶は選曲が命(いのち)」というのは「ジャズ喫茶の経営学」でもあるというのはそういうことだろう。

70年代から80年代までのフュージョンは、それまでのジャズ・ファンからは鬼子扱いされたものだが、今になって「技巧的で聴き所もある良くできた音楽だし、ジャズとしても楽しめる」と再評価するジャズ・ファンは少なくなく、私もその一人だ。また後藤店主も当時よりも再評価しているようだ。

当時を振り返ると、「フュージョン」というニューカマーをどのように捉えればいいのか、そしてどれを聴けば良いのかという指針となるべきものがジャズの世界にはなかったように思う。これはジャズ喫茶店主も同様で、毎月たくさんのフュージョン盤を仕入れはするものの、確かな視点で「これは自分の店のお客さんにお薦めできる」と自信を持って選盤していた人がどれだけいただろうか。従来のジャズに関しては、「最高の盤」から「店でかけるほどでもない盤」まで厳密に査定してその場の流れに合わせてセレクトすることができたジャズ喫茶マスターも、フュージョンに関しては玉石混交、手当たり次第にかけるという店が多かったように思う。

当時はジャズ・ジャーナリズムも含めて、フュージョンと従来のジャズ・ファンとの架け橋となる存在が欠けていたように思う。フュージョンを積極的に取り上げるジャズ専門誌は存在したが、こうした雑誌の果たした役割は、ジャズのニューカマーと既存のジャズ・ファンとの架け橋となることよりも、ジャズ・ファンの棲み分け、もっとキツくいえば分断を加速化させてしまったのではないかと今にして思う。後藤店主が『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』を著した動機の一つにこのような過去の出来事が現在に至るまで心残りとしてあったのではないだろうか。

水先案内としてのJazz The New Chapter

本書で指すところの「現代ジャズ」とは、たんに「最近のジャズ」ということではなく、2010年代に入ってから顕著になってきた傾向を備えたものだ。それはひとことで言うと「異種配合」や「ポピュラリティの獲得」に積極的な姿勢を持ったスタイルのジャズだ。

ジャズにこのような大きな変化が起きていた時代の流れの中で、2014年に『Jazz The New Chapter』(柳樂光隆監修・シンコー・ミュージック・エンタテインメント)が出版され、ジャズ・ファンを含む多くの音楽ファンにその内容が理解された影響は絶大だ。「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」というサブ・タイトルが付けられたこの本は、2012年に「Black Radio」を世に出したロバート・グラスパーを中軸に置いてジャズの新しい局面を検証するというものだった。この「Black Radio」がジャズ部門ではなくR&B部門にノミネートされて2013年の第55回グラミー賞最優秀R&Bアルバムを受賞してポピュラリティを獲得したことで状況は大きく変わった。

ロバート・グラスパーはNYのニュー・スクール大学でジャズ・コンテンポラリーミュージックを学び、気鋭の若手ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたが、徐々にヒップホップやR&Bとの接点を強めていき、その最初の成果が「Black Radio」だった。このために従来のジャズ・ファンからは「これはジャズではない」「ブラコン(ブラック・コンテンポラリー・ミュージック)だ」という声が多かった。私自身も「Black Radio」を一聴した時は、それなりに楽しむことはできるものの、そこにジャズとの関連性を強く感じることはできなかった。それはハービー・ハンコックが1983年に大ヒット曲「Rock It」を収録した「Future Shock」を発表した時と似たような感覚だった。あの時はジャズ・プロパーのハービーがまったくの異世界であるヒップ・ホップに飛び込んだという印象で、音楽的な冒険というよりもコマーシャルな目的のためと受けとめたジャズ・ファンが大半だった。ハービーと同様にグラスパーにも、アメリカのエンターテインメントのヒエラルキーでは下位に甘んじ、儲けにもならないジャズというカテゴリーの中でよりもR&Bというメジャーなマーケットで成功したいという気持ちはやはりあったはずだったと思う。

このような、たやすく「鬼子」と扱われやすい状況にあったロバート・グラスパーや彼と何らかのながりを持つ音楽が、これまでのジャズと地続きであること、そしてこれまでのジャズと同じ地平上にあること、つまりそれが決して「鬼子」ではなく、むしろれっきとしたジャズの歴史の流れの中から生まれてきたものであることをジャズファンや音楽ファンに根気強く解き明かしてきたのがこの「Jazz The New Chapter」シリーズだった。

ジャズ評論家柳樂光隆が監修したこの本は2020年まで6巻発行されているが、「僕はジャズ喫茶で育った」と公言する彼が、「現代ジャズ」とこれまでのジャズとのつながりをミュージャンへのインタビューやディスク・ガイドを通して解き明かし、シーンと音楽ファンとの架け橋として機能してきたことは大きい。

この「Jazz the New Chapter」から大きな影響を受け、ジャズに新たな地平が見えていることに気づいた一人がジャズ喫茶「いーぐる」の後藤雅洋だった。後藤店主にとって「Jazz The New Chapter」が、いま新しく生まれているものがジャズの伝統にしっかり根ざしたものであることを理解させてくれる水先案内人となった。

以前にも増して積極的に現代のジャズシーンの動向に目を向けるようになってきた後藤店主が、従来のジャズ・ファンに現代ジャズの魅力を伝えたいと考えるに至るのは当然の流れだった。

ジャズ喫茶の集客のためにはモダン・ジャズ・ファンだけでは先細りが目に見えているという経営的な課題ももちろんあるが、『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』のキャッチフレーズに「こんな面白い音楽を聴かないなんて、もったいない!」とあるように、音楽ファンとしてのシンプルな本音もそこにはあるだろう。それは新しいジャズの面白さがわかることの喜びであり、その喜びを多くの音楽ファンと分かち合いたいという純粋な気持ちから生まれた言葉だ。

そして、後藤店主には、かつてのフュージョン・ブームの二の舞は避けたいという気持ちも強かったのではないかと思う。現在進行形のジャズ・シーンとファンとの架け橋となるべきジャーナリズムが、かつてのフュージョン・ブームのような機能不全に陥ることがあってはならないということだ。そして何よりも、自身の信念を賭けるに足るものが現代ジャズにあるという確信も後藤店主に生まれたのだろう。

後藤店主がそのような確信を得たのは、ここ数年間、実際に現代ジャズ・ミュージシャンたちのライブに積極的に足を運んできたこともあるだろう。

私自身の体験でいうと、2015年のロバート・グラスパー・エクスペリメントの来日公演はその後の現代ジャズを聴く上で大きな影響があった。この時は「Black Radio 」収録曲が中心のプログラムだったが、実際に生で聴くこのバンドの姿はアルバムとは大きく異なるものだった。ひとこと言えば、アルバムよりもはるかに即興演奏に比重が大きく傾いた、いわば「ジャズ度」が非常に高いものだった。そこで展開された演奏力学は、実はおよそ50年前のリターン・トゥ・フォーエバーやウェザー・リポートと本質的には同じものだった。

これは私の知る限りの範囲でしかないのだが、この時のロバート・グラスパー・エクスペリメントの演奏を聴いて「彼らを見直した」という従来のジャズ・ファンは多かった。このバンドに限らず、現代ジャズのミューシャンたちのライブは、アルバムで聴くよりもはるかに「ジャズ度が高くて濃い」。生で聴いた者は、彼らの演奏技術の高さや創造性にあふれた即興演奏に感心させられ、これは紛れもなくジャズだと実感させられるのだ。

新しいジャズ・ファン

本書の「あとがき」で、後藤店主は今年(2023年)5月に埼玉県秩父で開催された「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL 」に出かけ、カマシ・ワシントン、ロバート・グラスパー、テラス・マーチンなどのアメリカを代表する現代ジャズ・ミュージシャンたちや日本の若手、新人、ラッパーたちによるステージに若い世代の聴衆が熱狂している光景を見て、現代ジャズが盛り上がっていることを実感したと書いている。

それは、ジャズを中心とするさまざまなスタイルの新しい音楽が結びつき、多様性に富んだエキサイティングな状況がいま創り出されていることを自身の肌身で感じたということだろう。

「Jazz The New Chapter」の影響も関係していることだが、今の「現代ジャズ・シーンの盛り上がり」は、いわゆるジャズ・ファンのみが支えているわけではない。これはジャズ喫茶にも言えることで、最近ジャズ喫茶にも来るようになった新しい客層はこれまでのような客層とは違う。90年代のクラブ・シーンやレコード・ブームを通過して最近になってジャズの面白さに気づいた世代やヒップホップのサンプリングネタとして使われているジャズへの興味などから少しずつジャズの深みにはいってきた世代など、多種多様だ。つまり、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」やマイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」といった「ジャズ入門の定番」からジャズを聴き始めて知識と経験を積み重ねてきたという、従来の「ジャズ・ファン層」とは様相がかなり異なる。

そして今の「現代ジャズ・シーン」の大きな特徴が多様性にあるのは、ミュージシャンもリスナーも、ジャズという一つのジャンルからだけではなく、多様な音楽をバックボーンとして成長してここに至っているからということだろう。

この点を踏まえたうえで、少し長くなるが、本書の後藤店主の記述を引用しよう。

ここで注意すべきは「モダン・ジャズ」はおよそ1940年代後半から60年代後半に至るせいぜい20年ほどのジャズ・スタイルの総称にすぎないという事実です。

つまり冷静にジャズ史を概観すれば、「モダン・ジャズの時代」は全ジャズ史の5分の1にすぎない「局所的」な現象なのです。

こうして改めてジャズ史を巨視的に概観すると、「現代ジャズ」は相対的に芸術的要素に傾いた「モダン・ジャズ期」に対する揺り戻しとも言えるスパンに入っており、「ポピュラリティを恐れない自己表現派」とでも言うべき魅力的なジャズ・ミュージシャンたちが輩出しています。前出のカマシ・ワシントンやロバート・グラスパーなどがその代表でしょう。

このように俯瞰したジャズ史を押さえておけば、前述のベテラン・ジャズ・ファン層と、近年増加した柔軟な若年ファン層の現代ジャズに対する認識のズレが何に起因するかおよその見当がつくはずです。現在20代から40代に至る若年ファン層がジャズに触れた時期はほぼ21世紀に入っており、もはやモダン・ジャズ時代の限定されたジャズ観にさほど拘束されず、むしろ多くの現代ジャズ・ミュージシャンが愛聴しているとされるヒップホップやポップスを含んだ多様な音楽ジャンルに慣れ親しんだうえでのジャズ・ファンということになりそうです。

それに対し、現在50代以上のベテラン層は、いまだに相対的に芸術性を高めていた時期の、若干難解なジャズ観に縛られているため、現代ジャズの、伝統ジャズとの連続性が見えにくくなっているように思えるのです。「現代ジャズ」は、そうした方々が考えている以上に“ジャズ”の王道路線を歩んでいるのです。こうしたことを頭に入れたうえで「現代ジャズ」を聴けば、先入観に囚われることなく多彩な演奏形態を自由に楽しむことができるのではないでしょうか。

本書は、もちろんあらゆる世代の音楽ファンに向けて書かれたものだが、この引用文にあるような「現在50代以上のベテラン層」にとっては、とりわけ理解しすい内容になっていると私には受け止められた。なかでも2010年代以降の重要作をセレクトした200枚のアルバム紹介は良きガイドとなるだろう。

言ってみれば後藤店主は自分の店、ジャズ喫茶「いーぐる」にやってくるコアな客層(現在50代以上のベテラン層)を強く念頭に置いて、彼らに向けて「現代ジャズ」について解説しているようにも見える。また、こうした層にもわかる言葉で書かれているのが本書の大きな特徴ではないかと思う。

人目を引きつけるためにあえてこの一文のタイトルに「書評」とつけてみたが、これは、創業50年を超える76歳のジャズ喫茶店主がなぜいま「現代ジャズ」を語るのか、その背景についての私なりの解釈をまとめたものである。これによってこれまで「新しいジャズ」を疎んじてきていた従来のジャズ・ファンにとってこのテーマをより身近なものとして感じていただければと思う。

最後に本書の構成について以下に紹介する。

第1章

現代ジャズ紹介

――伝統的ジャズと連続性を持つ現代ジャズの特徴

  • ポピュラリティの復権 〜ヴォーカルの多用〜楽曲の重視
  • 「混合・融合音楽としてのジャズ」 サウンドの復権
  • 「世界音楽としてのジャズ」

第2章

現代ジャズの面白さを伝えるアルバム「特選200枚」

第3章

ジャズ史における現代ジャズの位置付け

――ジャズを取り巻く環境の変化

版元(シンコーミュージック・エンタテインメント)のサイトの本書紹介ページはこちら

※文中敬称略とさせていただきました。

文/楠瀨克昌

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