東京・中野/新井薬師 ロンパーチッチ

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グーグルマップで測ってみると、西武新宿線新井薬師前駅から「ロンパーチッチ」までの距離は約600メートル、徒歩にして約8分。JR「中野」駅からだと約950メートル、徒歩で約12分の距離だ。東京都内のジャズ喫茶の大半は最寄り駅からだいたい400メートル以内、徒歩で5分以内のところにあるので、これはかなり遠い。

いま当サイトの「ジャズ喫茶&ジャズバーリスト」では東京都内の店は全部で112軒掲載しているが、このなかで最寄り駅からもっとも遠いのは、おそらく2015年にオープンした「渋谷スイング」だろう。京王井の頭線神泉駅から900メートルで約11分、JR渋谷駅から約1キロメートルで12分。

「ロンパーチッチ」はたぶん、「渋谷スイング」の次に「都内で最寄り駅から遠いジャズ喫茶」ということになるようだ。

しかしそれでも「ロンパーチッチ」は、都内のジャズ喫茶&ジャズバーの中では有数の集客力を持つ人気店であり、雑誌などのメディアで取り上げられることも多い。

駅から遠いという立地上のハンディや、30代半ばの若さで脱サラをしたために開業資金や運転資金がそれほど潤沢ではなかったという経済上の課題を乗り越えて、なぜこのようなことがこの店に起きたのか。

「ロンパーチッチ」の創業は2011年12月10日。師走を迎えたせわしい時期だった。この年に店を開くことになったきっかけは3月11日に起きた東日本大震災だった。

大学を卒業した後、IT系企業でシステムエンジニアをやっていた齊藤外志雄さんは、 なだれ落ちてくる書類の山から逃げながらオフィスの机の下に潜り込んだとき、「このままじゃヤバい、さっさと決断をしないと」と焦ったという。

その「決断」とは、「次の地震で死ぬんだったら、イヤイヤ仕事をしているサラリーマンよりは、ジャズ喫茶のオヤジとして死にたいな」(2012年3月12日のロンパーチッチのブログより)という願望を叶えるためのものだった。

震災前から齊藤さん夫婦は、将来の希望として、「たとえばジャズ喫茶をやりたい」という気持は漠然と抱いていた。

かつて住んでいた吉祥寺あたりがいいと何となく思って不動産屋をたずねてみたが、条件がまったく合わずに断念したこともあった。

いつか会社を辞めたいという願望を抱きながらも「ふんわりと」毎日をやり過ごしていた齊藤さん夫婦だが、世の中がひっくり返ってしまった震災が引き金となって、このままではもう耐えられないという気持ちが日増しに大きくなっていった。

そんなとき、家から歩いて2、3分のすぐ近所に物件があらわれた。

「ここはずっと長い間、空いてはいるけど貸しにも出さずという物件だったんです。ある薬局さんがこのあたり一帯をまとめて病院を建てようと計画していたらしいんですが、おそらく震災でそれが駄目になったんでしょうね。とつぜん、テナント募集の貼り紙が出されたんです。震災直後のせいか、私のアタマもどこかユルんでいたようで、あと2、3年は物件を探してお金も貯めてと思っていたのに、ここでいいやと契約をしてしまったんです」(外志雄さん)

運命といえばそうなのかもしれない。

契約を済ませたあと、半年以上も家賃を払いながらテナントをキープして、数ヵ月の開店準備を経て、オープンにこぎつけたのが、震災からちょうど10ヵ月後の2011年12月10日だった。

齊藤さん夫婦が店を開くにあたって、はっきりと決めていたことがいくつかあった。それは「ロンパーチッチ」の店作りの基本とでもいうべきものだった。

まずは一つ、

ジャズ談義はしない。

「店を開くまで、1回だけ行ったというジャズ喫茶はそれなりにありましたけど、《通う》というレベルだったのは渋谷の『JBS(ジェイビーエス)』さんです。影響は大きいと思います。店でかける音楽やジャンルという面での影響もありますけど、あの店は、客のほうから絡みに行かない限りはぜったいに客を放っておくという信念があって、私のような、ほんとに放っておいてもらうと楽なタイプの客には居心地がよかったんです。

「店主が来て、話しかけてくるようなジャズ喫茶だと、それに応えているうちに『なんで私たちはここで《社交》してるんだろう』と。私はもう、ジャズ談義がぜったいにイヤで、それは店の人間になってもイヤなんです。」(外志雄さん)

齊藤さんのような「ジャズ談義拒絶派」の客は少なくない。

たとえばツィッターでは、「店主から何かリクエストはないですか? と訊かれて困った」という書き込みをけっこうたくさん見かける。それはショッピングのときに店員から「何かお探しですか?」と訊かれて、ほっといてくれればいいのにと感じることと似ているかもしれない。店員の親切心とは裏腹に喫茶店では誰にも気を遣わずに気ままに過ごしたいという客もいる。

そんな齊藤さんにとって、契約した物件の造作は好都合だった。

「店のカウンターはぜったいに《ラーメン屋さん式》にしたかったんです。この物件は、契約したときにはカウンターは作りかけで、3割ぐらいできていました。前の契約者がカフェをやるつもりだったんですけど、内装工事の途中で内装業者さんとトラブルになっちゃったようで、そのままになっていました」(外志雄さん)

その「作りかけのもの」をアレンジして、ラーメン屋のように客と従業員の間にお互いの視線が気にならないぐらいの高さの木の壁がある、会話がしづらいカウンターをこしらえた。

35歳までに店を始める。

内装を取り仕切ったのは、先に会社を辞めた晶子さんだった。

「内装業者さんは『昔行った俺のジャズ喫茶観』のある方で、よくもめていました(笑)」

店に必要な備品は、近所のインテリアショップなどで気に入ったものがみつかると買い足していった。これは開業してからもずっと続けている。

店のインテリアの大きなアクセントになっている廃材を使ったアンティーク風のチェストは、自宅から持ってきた。

「これは独り暮しをしていたころから使っていたものです。まさかこんな風に役立つとは。」(晶子さん)

飲食店を開業する際には、椅子やテーブルなどは専門業者から新品もしくは中古品を一括購入して取り揃えるのが一般的だが、「ロンパーチッチ」に限らず、ここ最近の若い経営者が始めるカフェの特徴として、もともと自宅にあったものや友人から譲り受けたもの、リサイクルショップで見つけたものなど、形も大きさもバラバラの椅子やテーブルで済ませるという傾向がある。

初期投資を抑えることが大きな目的だが、こうしたスタイルが若い客層には「居心地の良さ」をもたらすという効果もある。

その「居心地の良さ」とは、「日常生活の延長としての場」であったりする。

ピカピカの新品の椅子やテーブルが取り揃えられた「よそ行きの場所」、もっと言えば「非日常的な空間」よりも、ある程度経年変化した椅子やテーブルの置かれた場所の方が、まるで我が家か友人の家にいるかのように馴染めて落ち着くようなのだ。

たとえ他人の店ではあっても、自分の部屋にいるような感覚で過ごしたいということなのかもしれない。

「ジャズ喫茶は敷居が高い」という声は若い人には多い。窓も何もなくて、扉を開けて入ってみないとどのような空間なのかわかならないことが、ことさら高いハードルとして受けとめられているようだ。これはジャズ喫茶に限らず、バーや一般の喫茶店などに対しても同じようだ。

ファストフードのようなオープンなラウンジ的空間しか外食経験のない世代には、扉の向こうに何があるかわからない、閉じられた空間に入っていくのは、ことのほか勇気がいるようなのだ。

いっぽう、「ロンパーチッチ」の場合は、通りに面した壁はほぼ全面が透明なガラス窓なので、店内の様子はほとんど外から見てとれる。だから初めて来た客もひとまずは納得して店内に入ることができる。

このように日常性の延長と言っていい空間であることが、「ロンパーチッチ」が客を引き寄せる理由のひとつではないだろうか。

このスタイルで肝心なのは、狙っている客層の感性からあまり離れていないということだ。齊藤さん夫婦が「店を始めるなら35歳までに」としたのは、そこが世間の感覚とのズレが生じるボーダーラインと考えたからだろう。
(次ページへつづく)

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