渋谷に新しい風を吹き込んだジャズカフェ
渋谷はかつてジャズ喫茶の多い街でもあった。
1950年代の「スイング」「デュエット」といった人気店に始まり、60年代に入ってからは道玄坂界隈とその近くの百軒店に「オスカー」「SUV」「DIG」渋谷店、「ブルーノート」「ブラックホーク」(のちにロック系喫茶店に転向)、「ありんこ」「音楽館」「ブレイキー」「ジニアス」「ジニアスⅡ」などの多くのジャズ喫茶が密集して活況を呈した。
しかし、バブル期の頃から翳りが見え始め、やがてそのほとんどが90年代の終わりまでに姿を消してしまった(『ジニアス』は1989年に中野新橋に移転)。
往時から営業を続けている店はJR渋谷駅南口のすぐ近く、桜丘 の「メアリージェーン」だけとなった。
この店を「渋谷に残る唯一のジャズ喫茶」としている記述をたまにみかけるがそれは誤りで、いま渋谷には道玄坂上に2002年にオープンした「JBS」、神山町に2014年にオープンした「渋谷SWING」と、合わせて3軒のジャズ喫茶がある。
ただし、「メアリージェーン」を「渋谷の老舗ジャズ喫茶」と紹介することは、2代目で現マスターの松尾史朗さんにとっては、ちょっと抵抗のある表現かもしれない。
「私がこの店を引き継いだのは2005年ですが、そのときから店のコンセプトははっきりしていました。『ジャズ喫茶だけど食事も美味しい』というのではなくて、『食事を目あてにきたら、音楽もよかった』という店です。ジャズ喫茶というよりもジャズカフェ、さらにカフェ・レストランのようなイメージを持っていただけるといいんですけど、ただ、それは理想であって、現実にはなかなかそうはなっていない面もあります…」
松尾さんが「あくまでも理想」というように、かつてジャズ喫茶として東京でもトップクラスの評判を得ていたこの人気店の方向転換はなまやさしいことではなかった。
「メアリージェーン」の開業は 1972年4月28日。
創業者の福島哲雄氏が大学卒業まもない22歳のときに、同年代の仲間たちの手を借りて銀行から融資を受けるなどして資金を集めて始めた。仲間には大学の建築科を出た者が多かったので内装は自分たちで作った。
オーディオもやはり大学の物理学科にいた音響好きの仲間が組み上げ、手作りのスピーカー・ユニットをぜんぶで10万円ぐらいで仕上げた。
レコード・コレクションは当初は500枚ぐらいと少なかったが、海外雑誌のオークション情報で知り合った外国のコレクターたちと手紙でやりとりをして 1枚3ドルから5ドルという安値で仕入れる方法を開拓して、開店4年目には約3000枚までに増やした。
このように、既存のジャズ喫茶のやり方の真似をせずに、独自のアイディアで道を切り開いていくのが「メアリージェーン」のスタイルだった。この新しい感覚から生まれた方法論は、ジャズ喫茶の生命線ともいえるレコードのかけ方にも持ちこまれた。
四谷のジャズ喫茶「いーぐる」の後藤雅洋店主は、ハードコアなフリー・ジャズからECMレーベルに代表されるクラシック音楽や現代音楽に近いもの、そしてオーソドックスなメイン・ストリーム・ジャズまで、振れ幅の広い音源を自然に違和感なく繋ぎ合わせてストーリーを作ってしまう「メアリージェーン」独特の選盤術(DJプレイ)に、それまでの「DIG」などの名門店にはなかった斬新なセンスを発見して驚き、その技術を盗むために足しげく通ったが、福島店主の選盤術が天性のものであり、ノウハウ化して自分もマネができるものではないと気づいてあきらめたという話をその著書『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』(河出書房新社)で打ち明けている。
当時ジャズ喫茶通いをしていた若い客たちは、新しい風を吹き込んできたことへの共感や信頼をこめて、「メアリー」という愛称でこの店を呼んだ。
「メアリー」の評価を決定づけたのは、毎週水曜日に開催された「恵まれないアーティストのアヴァンギャルド特集」というレコード・コンサートだった。
アメリカのみならずヨーロッパも視野に入れ、独自の経路で入手した無名のミュージシャンたちのレコードを紹介するジャズ喫茶は当時の東京にもなかったため、このイベントは毎回かなりの盛況だった。
これによってジャズ喫茶としての「メアリージェーン」は有名店となったが、その反面、「前衛ジャズの店」というイメージも定着してしまうことになった。
「メアリージェーン」にはバド・パウエルやソニー・ロリンズのコンプリートなコレクションをはじめ、メイン・ストリーム・ジャズのレコードも取り揃えられてはいたが、そういう音源よりも前衛ジャズを求めて聴きにくる客も迎えなければならないという、ジレンマに陥るようになった。
「僕は出来上がった風評と闘い続けてきましたよ」と創業者の福島哲雄氏は『ジャズ喫茶に花束を』(村井康司/河出書房新社)で語っているが、ただ、70年代後半の「メアリー」には、やはりフリー・ジャズがよくかかっていたというイメージがあったことは否めない。
それは、当時のジャズのフロントラインで活躍していたのが、それまでのモダン・ジャズではなく、ロフト・ジャズやポスト・フリーと呼ばれる前衛的な音楽のミュージシャンたちであったことと関係があるだろう。
時代の先端を追いかけ、ときには時代の先回りをして新譜をいちはやく客の耳に届けるというジャズ喫茶の使命を忠実にはたそうとすると、必然的にアヴァンギャルドな内容のレコードをかけることが多くなり、その結果として「前衛ジャズの店」という印象を客に刻みつけてしまったのではないだろうか。
「メアリージェーン」は1980年の大改装によって現在の店舗のかたちができあがったが、改装前の70年代は、かなり趣の違う店だった。
いまは山手線が後ろに見える白く塗られた板張りの壁側に大きな窓が並んでいて店内に明るい光が射し込んでくるが、改装前は、その壁一面は茶色の板張りだった。
採光は、壁側の黒いベンチシートのおよそ20㎝ぐらい上に板一枚分の縦幅でくり抜かれた細長い数個の小窓からだけだった。この小窓はいまも当時のまま残っている。
席に座ると、ちょうどその小窓から渋谷駅の山手線のホームが見えた。夜になって外が暗くなると、車内灯のついた電車がゆっくりと動いていくのが細長い小窓からのぞいて見えて、それを眺めながらシリアスなジャズとともに時間が流れていくことがとても都会的に感じる空間だった。それは渋谷の街にふさわしい光景だった。
「メアリー」のスピーカー・スペースの左脇には、この店を訪れた海外のミュージシャン、たとえばアンソニー・ブラクストンやジョセフ・ボウイ、ヘンリー・カイザーたちがサインを書き込んだ改装前の茶色の壁板がいまもそのまま残されている。
1980年の大改装の後、「メアリーはジャズ喫茶ではなくふつうのカフェになったらしい」という噂が、当時の東京のジャズファンの間で流れた。
現マスターの松尾さんは、このメアリー転身後の1984年から1992年まで、アルバイトとして店を実質的に切り盛りしながら働いた。その後、いったん店から離れたのち、2005年に改めて2代目としてメアリーの経営を引き継いだ。
松尾さんが正式に2代目になってからは、アルバイト時代よりもさらに「ジャズカフェ路線」が鮮明になった。アルコールや飲食のメニューはかなり増えた。
食事は洋風を基本としたもので、自然食を謳っているわけではないが、化学調味料や冷凍食材、出来合いのものは使わずに手作りの味にこだわり続けた。
福島店主時代から定評のあったエスプレッソや紅茶の味は、当時のスタイルのままいまも受け継いでいる。
また、東日本大震災の1カ月ほど前に「全面禁煙」を打ち出したことで、訪れる客層もかなりかわった。
「禁煙にしたのは、煙草を吸わなくなった自分にとって喫煙環境で仕事をしているのがつらくなったという、ただそれだけの理由です。これで昔からのお客さんで来なくなった人はずいぶんいましたね。『ジャズ喫茶なのに煙草が吸えないとはなにごとか』と(笑)。禁煙にしたからといって、女性客が劇的に増えたとか、そういうことはなかったです」と松尾さん。
いま、「メアリー」に来る客は、20代から60代過ぎまで多種多様だという。
ただ、食事目的でやってくる若い女性客は、昔ながらのスタイルを変えていない他のジャズ喫茶に比べれば、やはり多いようにもみえる。
ジャズカフェに転向した「メアリー」だが、ではジャズを軽く扱っているのかというとそうでもないところが、またこの店の特徴かもしれない。
「〝変わりました〟ということを売り物にしているわけでもないんですよ。わかる人にはわかってもらえればいいというつもりで、さりげなくやっているので。ただ、いかにもジャズ喫茶というかたちを期待している人には、あてがはずれてしまうところもあるかもしれませんけど」(松尾さん)
1980年の大改装後から「メアリー」が目指してきたのは、ジャズだけが売り物ではなく、食事や居心地のよさでも高い水準を目指した、総合力をそなえた「ジャズカフェ」だった。
それは、ここ2、3年のうちに注目され始めた「新世代感覚のジャズ喫茶」と呼ばれる新興店のスタイルの先駆けとなるものといっていいだろう。
しかし、繰り返しになるが、評価や評判がすでに定まった店の方向転換にはたいへんな困難とリスクがともなう。
「メアリー」大改装の翌年の1981年、道玄坂にあった老舗「デュエット」が渋谷東急百貨店本店の向かいに移転、バブルの到来とともに当時流行のカフェバーに雰囲気を変えたものの、残念ながらそこではもはや「ジャズ」は、ただの添えもの的なあつかいになっていて、90年代に入って閉店してしまった。
いっぽう、いまも「メアリー」ではジャズがしっかりと流れていて、1920年代のデューク・エリントンから現代にいたるメイン・ストリーム・ジャズ、そして世界各国の最新のコンテンポラリー・ジャズまで、扱う音楽は幅広い。
入り口のすぐ脇にあるレコード棚には、先代福島マスター時代のレコードコレクションがそのままそっくり残されており、1日3,4枚はその棚のレコードがかけられるという。
「メアリー」が、方向転換してからも36年間、飲食店の激戦区渋谷で生き抜いてこられたのは、「ジャズ」を切り捨てずにさりげなくこだわり続けてきたことにあったのかもしれない。
その場の雰囲気や客層に合わせて、そこにぴったりとマッチするレコードやCDを一枚一枚選んでいくというジャズ喫茶由来のスタイルが、一般的なカフェでは体験できない居心地のよい空間を客に提供することになったのだ。
いまでも個人的には新譜の8割はフリー・ジャズを買い続けているという松尾さんだが、もしかりにジャズになんの愛情も執着もない者がこの店の経営を引き継いでいたら、「メアリー」はここまで続けてはこられなかったのかもしれない。
「僕が店を引き継いだときに考えたコンセプトのひとつとして、この店のスペースを多くの人に使ってもらうことがありました。たとえばライブですが、当初は僕が企画やブッキングをやっていて、ソロではなくてデュオか、多くても4人ぐらいの編成で、初顔合わせの組み合わせが面白いんじゃないかと思って始めました。だんだん億劫になってきて、いまはオファーをいただいたらやっていただくようにしています。音楽だけではなくて、写真展などの展覧会もやってきました。料理教室でも反原発イベントでも、なんでもいいんですよ。残念ながら僕にはそういう企画力がないものですから、周囲にそんなアイディアを考えてくれる人がいてくれたらいいなあと思いながら、ずるずると今までやってきてしまったことがジレンマですね」
経営を引き継いだ当初の理想にはまだまだ遠く、やり残したことがあるという松尾さんだが、その「メアリー」が、2018年10月末をもって店舗を明け渡すことが決まってしまった。
2027年まで続く、100年に一度といわれる渋谷駅周辺の再開発事業によって「メアリー」が入っているビルも取り壊しになるのだ。
当初は、店の営業は2017年3月までという告知を受けていたのだが、東京五輪開催による資材価格の高騰のために予算がオーバーしてしまい、予定よりも着工が1年7カ月延ばされた。
だがいずれにしても、再開発が行なわれることに変わりはない。現時点では10月20日ごろに営業終了とのこと。
待ったなしの時代の大きな変化を前に、創業46年を数えたこの店の物語も間もなくその幕を閉じようとしている。
(了)※「メアリージェーン」は2018年10月24日に閉店しました。
photo & text by 楠瀬克昌
※参考資料『ジャズ喫茶に花束を』(村井康司著/河出書房新社刊)
MaryJane/メアリージェーン
※「メアリージェーン」は2018年10月24日に閉店しました。
- 店主:松尾史朗/創業年:1972年4月28日
- 住所:東京都渋谷区桜丘町2-3 富士商事ビル2F
- TEL:03-3461-3381
- アクセス:JR、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線、東急東横線、東急田園都市線「渋谷」駅から徒歩4分、京王井の頭線「渋谷」駅から徒歩5分
- HP:あり/SNS:なし
- 営業時間:火〜木、土、日 12:00-23:00、金12:00-24:00 ※ランチタイム12:00〜15:00 (休:月曜)
- ライブ:不定期開催
- ディスク数:レコード約4,000枚、CD約4,000枚
- リクエスト:不可
- 喫煙の有無:全席完全禁煙
- メニュー:ランチセット/今週のスープセット(サラダ、コーヒー、デザート付き)900円、チキン・キーマ・カレー(サラダ、コーヒー、デザート付き)900円、各種スパゲッティーセット(サラダ、コーヒー、デザート付き)1,000円、今週のリゾット(サラダ、コーヒー、デザート付き)1.000円
- 通常メニュー/各種コーヒー(レギュラー)600円〜、各種紅茶(ポットサービス)800円〜、各種ソフトドリンク700円〜、各種デザート600円〜
- 各種ビール750円〜(カールスバーグ樽生600円)、各種ウィスキー700円〜、各種グラスワイン600円〜、各種日本酒850円〜 ※午後6時以降アルコール注文の場合はチャージ¥500(スナック付き/ナッツ3種は食べ放題) ※メニュー詳細はHPをごらんください
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