ジャズ喫茶のマッチ 近畿

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姫路「タロー」のマッチ・ジャズ喫茶案内
兵庫県姫路市の「タロー」。1974年頃に国鉄(現JR)姫路駅に近い同店を訪ねました。手のイラストが洒落ていて好きなマッチです。地下にある薄暗い店だった覚えがあります(ジャズ喫茶案内注:その後、サイト閲覧者から「地下ではなく2階だったとのご指摘があり、調べましたところ確かに2階にあったようです)。前衛的なジャズが流れていました。スピーカーはJBLでした。(松浦)
神戸「クルセママ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
神戸市の「クル・セ・ママ」。オープン間もない1974年に訪ねました。国鉄(現JR)元町駅浜側にあった同店には何度も通いマッチをいただきました。ビルの2階にあり、ジョン・コルトレーンの看板が掲げられ、店内は明るいで感じで、コルトレーンをはじめ前衛的なジャズが流れていました。スピーカーはアルテック。私の敬愛するコルトレーンの絵柄で大好きなマッチです。(松浦)
大阪「ジョジョ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区兎我野町の「Jo Jo」。1974年に新御堂筋から太融寺近くにあった同店を訪ねました。マッチと同様に外観、内観ともに黒っぽかったです。店内には海外の民芸品などがあったと記憶しています。グランドピアノがあり雰囲気のいい店でした。店名はビートルズの「ゲットバック」の歌詞からとったようです。チャーリー・パーカー系のアルトサックスがよくかかっていました。スピーカーはアルテックA7。(松浦)
大阪「ハチ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区天満の「インタープレイ8」。1959年創業の老舗。うれしいことに今も健在です。関西テレビ横の同店に1974年に訪れてマッチをいただきました。ピアノを弾いているイラストが気に入ってます。老舗らしくハードバップがかかってました。スピーカーはアルテック・バレンシア。(松浦)
大阪「ファンキー」「jam jam」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区角田町の「ファンキー」。1974年に大阪駅近くの阪急ファイブ前にあった同店に訪れてマッチをいただきました。阪急三番街には姉妹店の「JAM JAM」がありました。軽めのジャズが流れていたように記憶しています。マッチの中にオーディオシステムが記載されています。(松浦)
大阪「チークトゥチーク」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区曽根崎の「チィーク・トゥ・チィーク」。オープンして間もない1978年に曽根崎商店街、梅新会館2階にあったお店を訪ねました。北区梅田に姉妹店の「Open Door」がありました。ヴォーカルやフュージョン系のジャズが流れていました。スピーカーはアルテック。(松浦)
大阪「queque」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区神山町の「QueQue(クク)」。1974年、オープン間もないころに阪急東通商店街にあった同店を訪ねました。隣には同じ名前のブティックがありました。スピーカーはJBL。(松浦)
神戸「タイム」のマッチ・ジャズ喫茶案内
大阪市北区太融寺町の「タイム」。1975年に阪急東通商店街のビル2階にあったこの店を訪ねてマッチをいただきました。イラストの顔が気に入ってます。姉妹店が道頓堀にもあったようです。店内は細長いですが広くモダンな感じでした。スピーカーはJBL。(松浦)
京都「ブルーノート」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市河原町三条下の「ブルーノート」。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。少し怖いような男性の絵柄がお気に入りです。店内は細長く、カウンター席に座ってハードバップを聴きました。スピーカーはJBL。今年2月に京都の店は閉店となり、奈良へ移転して4月から再オープンする予定です。(松浦)
京都「インパルス」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市河原町の「インパルス」。1974年と1975年に訪れてマッチをいただきました。店名はジャズのレーベル「インパルス」からとったようです。ハードバップが流れていました。スピーカーがダイアトーンで珍しかったのを覚えています。ジャズ喫茶だったこの店は閉店となりましたが、姉妹店の「コーヒ・ショップ・インパルス」は健在でジャズを流しているようです。(松浦)
京都「レマ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市熊野神社電停前にあった「レマ」。1974年に「しぁんくれーる」の姉妹店だったここを訪ねました。マッチの女の子の絵柄のように店内はかわいらしい西洋骨董などがあり、聴きやすいジャズが流れていました。女性客に人気のようでした。ママと親交のあったマイルス・デイヴィスがここに来たこともあるそうです。スピーカーはアルテック。(松浦)
京都「シァンクレール」のマッチ・ジャズ喫茶案内
1956年創業の老舗、京都市河原町の「しぁんくれーる」。大学入学の1972年、この店に頻繁に訪れたという高野悦子の『ニ十歳の原点』を読み、翌73年には同名映画を見て訪れたくなりましました。 立命館大近くのここに初めて訪れてたのは1974年。手元にはマッチが4個残っています。店名はフランス語の「ChampClair(明るい田舎)」と「思案に暮れる」をかけているようです。店内は赤レンガの壁、アンティークなランプ、時計、蓄音機そしてドライフラワーがありました。スピーカーはJBL。(松浦)

松浦さんのジャズ喫茶マッチコレクションは

宏さんのコレクションから。

京都「52番街」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市寺町通りの「52番街」。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。同志社大学近くのビルの2階にあって学生がたくさんいました。店名はニューヨークのかつてのジャズのメッカ52nd Streetにちなんだものでしょう。コルトレーンなどが流れていました。スピーカーはアルテックA-7。(松浦)
京都「ヤマトヤ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市熊野神社電停前の「YAMATOYA」。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。表と裏同じデザインです。アンティークな洒落た感じの店内でした。立命館や同志社などの大学が近く学生が多かったです。席はゆったりと座れ、マイルス・デイヴィスなどが流れていました。当時はスピーカーはアルテックでした(いまはヴァイタボックス)。リニューアルして今も健在です。(松浦)
京都「ザボ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市河原町三条の「ZABO」。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。並んだ二人の絵柄がユニークで気に入っています。地下のお店で、アフリカの木彫りの仮面が数個飾られていたのが印象的でした。フリー系のジャズが流れていました。スピーカーはアルテックA-7。(松浦)
京都「ビッグボーイ」のマッチ・ジャズ喫茶案内
京都市河原町三条の「ビッグボーイ」。1974年に初めて訪ね、その後再訪したのでマッチは2個持っています。入り口に目立つ看板で「Big Boy」があり、地下に入っていきました。店内はかなり広い感じでした。アーチー・シェップなどがかかっていました。スピーカーはJBLオリンパス。2006年に東京・神田神保町に同名の店がオープンしたときに店主に京都の店との関連を尋ねたら、京都のこの店の雰囲気が好きで店名にしたと教えていただきました。(松浦)

松浦さんのジャズ喫茶マッチコレクションは

「シギーのブログ」にもアップされています。

編集・楠瀬克昌

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