ジャズ喫茶の真の魅力にこだわる
「ジャズ喫茶は新譜をかける場所」という、かつてはあたりまえだったが、いまでは多くのジャズ喫茶が捨ててしまったそのポリシーを「いーぐる」は守り、かつてほどの数ではないが、それでも新譜のCDやレコードを購入し続けている。そして、「会話禁止」のルールも、午前11時30分(土日は午後2時)の開店から午後6時までは守っている。全国で会話禁止のルールがあるジャズ喫茶は、この「いーぐる」も含めて5軒にも満たない。
大学を卒業するとき、後藤店主はこのままジャズ喫茶のオーナーになるか、それともどこかの会社に就職するか、自分の進路の選択を迷ったという。
そして彼は、はたしてジャズが、自分の人生を賭けるものとしてふさわしいかどうか、確認することにした。
「茂木信三郎君に『ジャズでもっとも偉大な音楽家は誰か?』と質問したら、彼は『それはチャーリー・パーカーだろう』と答えたんです。それから毎晩、私は店の営業が終わったあとに、チャーリー・パーカーを集中して聴きました。そして、あるとき、とつぜん確信を得たんです。ジャズは自分の人生を賭けるに値するものだと」と後藤店主は述懐する。
後藤店主がジャズ喫茶の経営を続けていこうと決めたきっかけがチャーリー・パーカーであったのは大きな意味を持つ。なぜなら、チャーリー・パーカーがその盟友であるディジー・ガレスピーとともに始めた革新的なジャズのスタイル、ビ・バップは、ダンスをしながら聴くことを拒絶した音楽であったからだ。チャーリー・パーカーとその一党は、それまでのジャズのスタイルだったダンスの伴奏をするための音楽を演奏することを拒否した。
急速なテンポとアフタービートをなくした4ビートを特徴とするビ・バップは、それまでのジャズファンからは「こんな音楽では踊れない」と不評だった。チャーリー・パーカーは、ダンスのための音楽ではなく、自分たちの表現のための音楽を演奏した。彼らのスタイルは、ジャズを鑑賞のための音楽に変えた。それは座って真剣に耳を傾けないと理解することのできない音楽でもあった。
後藤店主が、自分の店で会話禁止を客に要求するのは、そのようにして聴かないと理解できないものがジャズにあると考えているからだ。そして、音楽に集中することによって得られる体験こそにジャズ喫茶の本当の魅力があると考えているからだろう。
日本固有の文化であったジャズ喫茶の大きな特色はその多様性にあると思うが、そのなかで、「いーぐる」という場を通してジャズ喫茶の真の魅力を堪能して欲しいということなのだろう。
面白いことに、一時期は「抑圧的だ」として非難にさらされることが多かった「会話禁止」のルールを歓迎する客も最近は少なくないようだ。心おきなく聴きたい音楽に浸れる空間がありがたいのだという。また、瞑想のような効果があり、音楽のみが響く空間にむしろ癒やされるという声もある。
そして、世界的なレコードブームとともに、いまは世界各地で日本のジャズ喫茶にインスパイアされた「リスニングバー」「レコードバー」などといった呼び名でハイファイ・オーディオとアナログレコードを楽しむ空間がオープンしているが、「いーぐる」にも海外からの観光客や日本在住の外国人の来店が増えている。
「昔は外国からの客が来たときには、はじめに《この店では会話禁止です》と説明する必要があったんですが、最近は、《それは知っている》と答える客がすごく増えたんですよね。どこから情報を仕入れたのか、ほとんどの客がすでにご存知なんですよ」と後藤店主。
いま世間では「いーぐる」を「老舗」と呼ぶが、50年前の創業当時の経営方針を守りながらもたゆまぬアップデートを続けてきた結果、このジャズ喫茶はかつてのジャズ喫茶全盛期を知らない新しい世代に、歴史的名盤から最新音源までを大音量と高品質のサウンドで再生して新鮮な驚きと楽しみを与える存在になっている。「老舗」というノスタルジックな“称号”があまり似合わない店といってもいい。東京らしいクールな表情を決して崩すことはないが、ジャズの魅力を骨の髄までむしゃぶり尽くそうという貪欲さに溢れた濃密な空間は、創業当時となんら変わるところがないのだ。
さて、2017年11月11日には、いーぐる創業50周年を記念してのパーティが東京・千代田区のFM TOKYOで行われた。ジャズ喫茶店主たちをはじめ、常連客、ジャズ評論家、ライター、放送・出版、レコード会社関係者、ミュージシャン、DJまで幅広い多くのファンが集まり、この東京を代表するジャズ喫茶の長寿を祝福した。そのときの写真数点をここにピックアップして本稿を終えよう。 (了)
※文中敬称略とさせていただきました。
文・写真:楠瀬克昌
いーぐる Eagle
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